旅レポート〜地雷問題を抱えるカンボジアへ行ってきました〜

昨年夏に出航した第95回クルーズは104日間かけて地球を一周しました。このクルーズ内で実施したカンボジア地雷問題検証ツアーでは、地雷被害者と交流したりピースボートが地雷除去を支援している村を訪問しました。乗船前からカンボジアの地雷除去のための募金活動をおこない、このツアーに参加した北川智大さんがカンボジアで体験したこと、感じたことを書いてくれました。

まんたろうのカンボジアレポート

第95回クルーズに乗船していました、北川 智大(キタガワ トモヒロ)です。乗船前は大学に通いながらボランティアスタッフをしていました。ピースボートでは『まんたろう』というあだ名で呼ばれています。

私がこのツアーをとった理由は、日本に暮らしていては想像することもできない地雷という問題に対して、実際に現地カンボジアを訪れ、肌で感じてみたかったからです。

募金活動では、ご協力頂いた皆さまの温かいお声かけやご好意によって、カンボジアの人々を救うつもりが気付けばいつのまにか自分自身までもが救われていました。また、この活動を通して学ばせて頂いたこともたくさんあり、皆さまには本当に感謝しています。貴重な経験をありがとうございました。

第95回クルーズでは乗船客のうち35名がカンボジア地雷検証ツアーに参加しました。私たちはその中で主に5つの施設を訪れ、この国が抱える地雷の問題を勉強してきました。

カンボジアに残る内戦の爪痕

まずはじめに……

 

カンボジア 24
日本 46

 

Q これはカンボジアと日本のある数字を比較したものなのですが、皆さんはこの数字が何をあらわしているか分かりますか?

 

A 答えは、国民の平均年齢です。

 

なぜカンボジアの平均年齢が24歳と日本より半分も若くなっているのかというと、この国には独裁政権による大量虐殺という残酷な歴史があるからです。それもつい最近、今からたった40年ほど前に!

ポル・ポト

その残酷な独裁政治を行なっていたのが、このポル・ポトという人物が首相を務めた政権です。このポル・ポトが政権を握っていた1975年から1979年の4年間で、当時のカンボジアの総人口約800万人のうち、約300万人が殺されました。

ポル・ポトが大量虐殺を行った理由は、政策に原始共産主義(階級や格差のない原始時代のような生活)を掲げていたから。そして、「国を指導する我々以外、人々の間に格差をもたらす知識を持つ者は不要である」と自らの地位を脅かす存在を片っ端から殺害していきました。

眼鏡をかけているだけで知識人と見なされて殺された人々もいます。その為、アニメ『ドラえもん』で有名なのび太君も、もしこの時代に生きていれば殺されていたということになります。

では、そうした歴史背景を踏まえた上で、私たちが訪れた5つの施設について紹介していこうと思います。

キリング・フィールド〜大量虐殺の現場〜

ここは先程紹介したポル・ポト政権時代に大量虐殺が行われた場所です。キリング・フィールドとはその名の通り『処刑場』という意味で、カンボジアには100カ所以上も存在するそうです。私たちはシェムリアップという町にあるキリング・フィールドを訪れました。

ここで何よりも驚いたのは、ツアーに同行してくれた現地ガイドさんの親戚の遺骨もここに安置されている可能性が高いという現実をお聞きしたこと。この悲惨な歴史をとても身近に感じさせられた瞬間でした。

遺骨が納められている慰霊塔のまわりで遊ぶ子どもたち

そして、私はこの場所でかなり異様な光景を目にしました。それは大量虐殺という負の歴史を持つ場所であるのにもかかわらず、子どもたちが公園で遊ぶかのように無邪気に走りまわっている姿です。通訳さんによると、ポル・ポル政権時代にかなり多くの知識人が殺されたことにより教育が充実しておらず、この国の歴史をしっかりと認識している子どもたちが少ないということ。大量虐殺の影響の大きさを改めて実感させられました。

シェムリアップ州立リハビリセンター〜義足がつくる希望〜

ここは地雷被害者の方や、交通事故や病気などが原因による身体の不自由な方をサポートする施設です。義手や義足を無料で提供しています。宿泊施設も完備されており、利用者は月平均150人程度。そのうち100人が近隣住民で、残りの50人が地方の方だそうです。

地方にはこの施設の存在を知らない方が多く、この施設の普及や啓発も兼ねて職員が出張で診断や義足の提供、修理なども行なっています。

義足をつけて自転車をこいだりデコボコ道を歩く訓練をする

私たちは、この施設に通う地雷被害者の方に直接お話を聞くことができました。その方は、地雷被害によって人生に絶望を感じたが、この施設で義足を提供してもらいリハビリを重ねることで徐々に気持ちが前向きになりました。まだ完全には立ち直れていないが、被害直後に比べると70%くらい人生に希望を持つことができたとおっしゃっていました。この70%という数字が、何とも言えない生々しさを物語っていると思います。

義手義足の無料サービスやリハビリを通した社会復帰の支援など、人生に絶望を味わった多くの方の生活を支え未来に希望を与えているこの施設の存在は、かなり重要な役割を果たしていると感じました。

しかし、運営がベルギーのNGO団体から州立になったことで資金が減少。それに伴い職員の数も不足し、運営はギリギリの状態だそうです。(資金は95%が州、残りの5%がWHOや赤十字)

アンコール障害者協会〜両脚をなくしたソワンタさん〜

アンコール障害者協会とは、地雷被害者の方や障がいを持った方が、社会で活躍できるように援助をしている団体です。

この写真の方が、この団体を立ち上げたセム・ソワンタさん。自身もカンボジア内戦時代に軍人として戦い、地雷で両脚を、そして紛争で両親を失いました。内戦が続いたせいで、お金や食料はなく、その上障がい者に対する扱いも酷いもので、何度も自殺を考えたそうです。しかし、自分よりも重傷な人や苦しんでいる仲間を見て、

「自分にはまだ両腕がある。

この状況は自分で変えるしかない」

という想いでこの団体を設立したとおっしゃっていました。

彫刻家になるためのトレーニングを受ける地雷被害者たち

一番幸せな瞬間は何ですか?という質問に対し、ソワンタさんは12月3日の国際障がい者デーで他の障がい者と一緒に音楽を楽しむことと答えました。障がい者が社会で活躍できるようにこの団体を立ち上げたソワンタさんですが、それでも同じ状況にある障がい者同士で過ごすことに安心感をもっているということが印象的でした。それだけ今のカンボジア社会は障がい者にとって生きにくい部分があるんじゃないかと思いました。

私はソワンタさんに出会うまで、障がいを持って生きる地雷被害者のことを本当には理解していなかったと痛感しました。私には両脚があって両親もいます。ソワンタさんの日常や気持ちをすべて理解することはできません。けれど、話を聞きいて想像力を張り巡らすことはできます。想像力をフル稼働することで人に寄り添っていけるようになりたいと思いました。

カンボジア地雷対策センター(CMAC)〜今も続く地雷除去活動〜

CMACはカンボジアで地雷除去をする政府機関です。ピースボートは「カンボジアから地雷をなくそう100円キャンペーン」という街頭募金活動をしていて、集まった募金はCMACの地雷除去に使われています。

CMACが地雷除去をおこなっている場所を見学することができました。ドクロ看板の後ろにある穴の中に見えるのは除去される前の実際の地雷です。踏んだら爆発する本物の地雷を目の前にしても、こんなプラスチックでできた小さな物が人の手足や命を奪うなんて、私にはとても想像が及ばず実感も湧きませんでした。

地雷には大きく分けて対人型と対戦車型があります。またカンボジアには、地雷だけでなく不発弾なども多く残っています。

この写真は、金属探知機を使った地雷除去をするCMAC隊員。大型機械もありますが、それだけでは全ての地雷を除去することができなかったり、土地の状態によっては使えなかったりして、カンボジアでは金属探知機や犬による地雷除去が主流となっています。最近ではネズミも活躍しているそうです。

その後に行ったCMACの博物館には、カンボジアへ積極的に支援をしている団体や国として、ピースボートや日本政府が紹介されていました。

小学校訪問〜地雷除去が子どもたちの未来を変える〜

ピースボートはこれまでカンボジアの地雷除去を支援するのとあわせて安全になった土地に小学校を4校と保健所を1棟建設しています。私たちは、その中の2校(1年前に開校したスナハイ村小学校と12年前に開校したコーケー村小学校)を訪れ、子どもたちとの交流を楽しみました。

遊んだ後はみんなで歌いながら手洗いタイム

まずはじめに、スナハイ村小学校を訪れました。お絵描きや折り紙、シャボン玉にボール遊びなど、様々な遊びを通して子どもたちと交流を深めました。またカンボジアでは、衛生に対する知識があまり根付いていないため、衛生教育の一環として石鹸を届けました。手を洗う習慣をつけてもらえるように、私たちが考えた手洗いの歌もプレゼントしました。

次に、コーケー村小学校を訪れました。スナハイ村小学校ではまだ村に住む約50人の子どもが学校に通えていないのに対し、コーケー村小学校は朝食の無料提供制度を導入したことによって出席率が100%となり、州のモデル校になっています。

地雷が除去されて安全な小学校ができたことで他の団体からの援助も受けやすくなり、現在は教育問題に取り組むNGO団体の支援により、図書館の建設や教員への教育も充実しています。

そして生徒たちは母国語のクメール語だけではなく、英語も少しだけ話すことができました。また教室のうしろにはひとり一本ずつの歯ブラシが置いてあるなど、衛生教育もかなり進んでいました。

コーケー村小学校は、これから年月をかけてシステムや設備が整えられていく予定であるスナハイ村小学校の理想像だと言えます。

さいごに

私はカンボジアという国のほんの一部分だけを見てきたに過ぎませんが、現地の小学校へ足を運び2校の違いを実際にこの目で見てきたことにより、強く確信したものがあります。それは教育の重要性です。1年前に開校したスナハイ村小学校では、自己紹介もし合うことができなかったり衛生面が整っていませんでしたが、12年前に開校したコーケー村小学校では英語を話すことができたり、教室にひとり一本ずつの歯ブラシが置いてあるなど衛生面もかなり進んでいました。

この2校の違いから、教育の重要性を身に染みて実感することができたし、地雷原を安全な土地にして教育の場を提供するということは、とても意味のある支援だと思いました。またそうした子どもたちが、これからカンボジアという国の将来を背負っていくということを想像すると、立ち止まってなんか居られません。

今僕にできることは、地雷という絶対的不幸を少しでも多く取り除くこと。なので、これからもカンボジアに対して自分なりにできる範囲のアクションを起こし続けます。慈善活動を行うことは偽善者に思われるかもしれませんが、やらない善よりやる偽善が大切だと私は思っています。

スナハイ村小学校でお見送りをしてくれた、この子の笑顔が忘れられません。

 

文:北川智大  編集:森田幸子