【イベント報告】これがわたしの生きる道!~カンボジアの小さなNGOが生み出す大きな希望~

カンボジアの障がい者支援NGOではたらくトラーさんの物語

こんにちは、ピースボートスタッフの森田です。2月28日、ピースボートセンターおおさかに素敵なゲストをお招きすることができました。カンボジアのNGO「カンボジアン・ハンディクラフト・アソシエーション(CHA)」のセム・トラーさんです。

女性障がい者の社会復帰を実現するCHA

CHAはピースボートの船がカンボジアに寄港したり、プノンペンへのツアーをおこなう時に訪問しているNGOで、女性障がい者の自立支援をしています。女性に縫製技術のトレーニングをおこなうと同時に、差別や暴力などで傷ついた女性たちの心のケアや社会復帰に向けた様々な訓練をおこなっています。これまでに300人以上がCHAを卒業して自立していきました。

<CHAでの作業の様子。主にシルクを使った製品をつくっています。>

セム・トラーさんもCHAでトレーニングを受けた一人で、その後はCHAでスタッフとして、新たにやってくる女性たちを支援しています。今回の来日はトラーさんにとってはじめての海外、はじめての人前でのトークということで、緊張しながらも自身の半生について語ってくださいました。

この企画はCHA JAPANとの共催イベントとしておこないました。CHA JAPAN代表の竹村彩花さんは9年前におこなったカンボジア地雷問題検証ツアーの参加者です。その時にはじめてCHAを訪問し、それがきっかけでCHA JAPANを設立しました。現在はCHAの商品を日本に広めるために活動しています。

<CHAでつくったシルクネックレスは日本のフェアトレードショップやデパートなどでも販売されています。>

今回のトラーさんの来日は、CHAの商品が日本でどのように販売されているかを知ることで、CHAの人々の自信につなげてもらいたいとの想いから実現しました。

セム・トラーさんが生きてきた道

<トラーさん(左)とイベントでは通訳も務めてくれた竹村さん(右)>

トラーさんが語ってくれた半生を一部ご紹介します。

小学校をやめなければならなかった

わたしは1986年3月2日、タケオ州で5人兄弟の長女として生まれました。父は牛の飼育、母はお米で作ったお菓子を販売する仕事をしていました。

7才で小学校に入学しましたが、1年でやめなければなりませんでした。畑仕事もしていた母の代わりに4人の弟たちの世話をする必要があったからです。本当は学校に行きたかったので、その後も親戚のおばさんに文字を教えてもらったり、家の床に書いたり、本を読んで勉強しました。

障がいと貧困と差別

13才の時、ポリオに感染しました。はじめは大変な病気とわからず、熱や体の痛みが治まると母の手伝いをして生活していました。1年後には両親が離婚。わたしは母と暮らすことになり、体の違和感を感じながら毎日お菓子を売り歩いていました。このまま体を動かさないと手足が動かなくなり、歩けなくなるのではとの思いから、毎日歩いていました。

それでも徐々に手足に力が入らなくなり、ゆっくりのペースでしか歩けなくなっていきました。祖母が土地を売ってお金をつくってくれたので、治療のためにプノンペンに行くことができましたが、手足が動くようになることはなく、お金も底をついてしまって、1か月半で自宅に戻るしかありませんでした。

母はお金をつくるために出稼ぎに行くこととなり、わたしは一番下の弟と2人で暮らさなければならなくなりました。母からの仕送りでは食べていけないほどお金に困っていました。そのころから、祖母がわたしを差別するようになりました。お金のことが原因だと思いますが、理由は今もはっきりとはわかりません。家でトイレもさせてもらえず、食事もきちんと与えてもらえず、とてもつらい期間でした。

再び学校へ行ける喜び

ある時、リハビリセンターでプノンペンにある小学校教育を学ぶ養護学校を紹介してもらいました。わたしは当時17才。小学生の子どもたちと一緒に授業を受けることへの抵抗が一瞬よぎりましたが、それよりも学びたいという気持ちが強くありました。17~20才までこの学校で学びました。学ぶことができる楽しさ、喜びを日々感じることができました。

養護学校では卒業前に職業訓練のトレーニングを受けることができ、わたしは卒業後に家に帰りたくなかったため縫製トレーニングを受けました。でもいざ仕事をはじめてみると障がいの影響で思うように仕事をすることができずに、しかたなくタケオ州の実家に帰らなくてはならなくなりました。わたしは再び絶望しました。

CHAとの出会い

そんな時に養護学校で出会った人からプノンペンにあるCHAを紹介してもらいました。「この家にずっといてはいけない」という想いが強くなり、1人でプノンペンへ向かいました。わたしが知っていたのは、CHAはトゥールスレン博物館の近くにあるということだけでした。それでもバスやタクシーの運転手さんに協力してもらい、CHAを紹介してくれた方と電話で連絡とりながら、ようやくCHAに到着することができました。CHAの代表のキム・タさんがわたしを出迎えてくれました。

わたしがCHAに来てから11年が過ぎました。はじめはここにいて、食事をもらえるだけでも十分だと思っていました。でもCHAで縫製のトレーニングを受けて、1年後にはスタッフに昇格しました。今は新たにやって来る女性たちに技術を教える立場となって、収入を自分で得られるようになったことをとても嬉しく思います。

CHAに来ることで救われたから次は私が支援する

トラーさんはこれまで、病気と障がい、貧困、差別など、多くの問題に直面してきました。それでもトラーさんに手を差し伸べた人々やCHAとの出会いによって人生が変わりました。

CHAは女性たちに縫製トレーニングをするだけではなく、ここに来る女性たちにとって安心できる「家」であり日常生活を送る安全な「居場所」を提供しています。トラーさんはCHAに来ることで、穏やかな日常を取り戻し、自分に自信を持つことができるようになりました。そして、今は他の障がいを持つ女性たちが社会復帰できるように手助けしています。CHAというプノンペンにある小さなNGOがここにやって来る女性たちに大きな希望をあたえています。

日本まで来て自分自身の経験を私たちに語ってくれたセム・トラーさん、ありがとうございました!

 

ピースボートスタッフ 森田幸子