地球一周した“先生”が、この船旅を通して学んだこと

2024年4月に出航した ピースボート地球一周の船旅 Voyage117 は7月27日に神戸港に帰ってきました。Voyage117 に参加した北川航次さんに地球一周することで体験したこと、ピースボートで学んだことを書いていただきました。

ただいま、神戸

ボクが地球一周したと実感したのは、船から神戸の街並みが見えた時。

大きな声で「いってきます!」と叫んで神戸港を出航してから、105日がたった。

2017年から地球一周を目指し、実現までに7年かかったボクは、大きな声で「ただいま!」と叫んだ瞬間、それはもう感情が高まり、神戸の景色が見られなかった。

改めて自己紹介。

ボクの名前は北川航次、船内ではCozy(コージー)と呼ばれていた。小学校の先生を一旦やめて、地球一周の船旅に出た。

和太鼓を船に持ち込んで、船の中や寄港地でパフォーマンスができたのは素敵な思い出。

また、船内の運動会や夏祭りなどのイベントも実行委員会や企画チームに参加し、ボクがクルーズ参加者の中で一番楽しんだと思えるほど充実していた。

船の上では、自分を制限するものがなく、どんどん自分のやりたいことが増えていき、エンタメや学び、交流などやり尽くすことができた。

あの刺激的な毎日がもうすでに恋しい。本当に素敵な経験ができたと感じている。

ボクがなぜこのクルーズに乗ったのかは、出航前に書いたこの記事を見て欲しい。
「先生は今から地球一周に行くねん」〜平和を育てる教室を目指して〜

前回の記事では、先生として平和を育てる教室を作りたいと書いた。そして地球一周した後の今回は、その記事の答え合わせという感じで書いていく。

平和を育てるには何が必要なのか、この船旅を通してボクが考えた事をつづっていこう。

太陽が昇る街「ランガ地区」(南アフリカ)

出航前に気になっていた寄港地の一つが南アフリカのケープタウン。

南アフリカと言えば「アパルトヘイト」という人種隔離政策があった国だ。

黒人が利用できる場所や働ける職業を制限したりと、政府の政策で黒人差別をしていた歴史がある。

今回は、1927年にできた最古の黒人居留区「タウンシップ・ランガ地区」に向かった。”ランガ”には”太陽が昇る”という意味があるそうだ。

最初に訪れたのはパスミュージアムと呼ばれるアパルトヘイトの資料館だ。中に入ると、暗い部屋に案内された。

するとそこにいた女性が急に泣き始めた。と思ったら、男の人が怒鳴り声をあげ、その女の人を連れていく。

その場にいたほとんど全員が何が起こったのかわかっていない。

連れて行かれた部屋の先で、何やら裁判のようなことが行われた。終始泣き叫んでいる女性が男の人から怒鳴り声を浴びせられていた。

一部始終が終わった後で、これは体験型の演劇だったとわかった。

女性が通行証明書を持たずに歩いていたため、連れて行かれるという設定だったそうだ。

実際にはこれよりももっとひどいことが本当に起こっていた。考えるだけでゾッとする。

しかし、現在のランガ地区はすごく活気ある町になっている。快晴の空が広がる街並みはとても明るく、現地の人たちもフレンドリーに話しかけてくれた。

ツアーで案内されたレストランでは、ジャンベや木琴のパフォーマンスとともに現地の人たちと踊った。

この町で、ひどい人種差別があったとは思えないと感じた。こんなにも素敵な町になるまでにどれほどの困難があったのか考えると胸が熱くなった。

軍をもたない国に必要なものとは(コスタリカ)

次は、コスタリカについて紹介する。

コスタリカといえば、ジャングルの中を巡るネイチャーツアーが有名だ。そんな中、ボクは「軍隊のない国コスタリカ」という平和を学ぶツアーに参加した。

コスタリカの首都のサンホセにある選挙最高裁判所を訪れた。

選挙最高裁判所が建てられた背景には、国内で起こった内戦がある。

選挙の不正があり、怒った市民が暴動を起こして内戦に発展し、何千人もの人たちが命を落とした。

もう2度とそんな悲劇を繰り返さないために、選挙の公正さを保証する仕組みとして選挙最高裁判所が設立されたのだ。

また、民主主義研究所で働いている方に、軍をもたない国コスタリカの今を話してもらった。

民主主義研究所では、子ども向けに民主主義の教材を開発して学校に配っているそうだ。そのため、コスタリカでは小さい時から民主主義について学んでいるという。

授業では、りんご、バナナ、メロンという選択肢を用意して、投票によって何を食べるか決めるそうだ。

もちろん、その食べものについて知らないと、考えをもって投票をすることはできないだろう。

だから、投票先の情報やマニュフェストを知らないといけないのだ。

また、民主主義に必要なのは「対話」ということを教えてくれた。

軍を持ち権力による支配をしても、国民一人一人の意見を大切にすることはできない。

対話する力を育てるためにも、コスタリカでは軍事費を全て教育や福祉のために使う決断をしたのだろう。

ただ、軍を持たないがゆえに、現地にいるマフィアが力をつけて警察の力では抑えられなくなっているという側面もあると教えてくれた。

そんな中でも、対話の文化が大切で、平和な世界を目指すために民主主義を育てていくことが大切と教えてくれた。

コスタリカの人たちが平和な世界を目指しているのだと感じることができるツアーだった。

バトンを繋ぐ(ポーランド)

実は、もともと今回の旅で行くと決めていなかった地域も訪れた。ポーランドだ。

船内の友人が「アウシュヴィッツに一緒に行かないか」と誘ってくれて、船を一時離脱して飛行機で向かうことになった。

アウシュヴィッツ強制収容所は、第二次世界大戦中にナチス政権によって造られた強制収容所だ。実は、人生で一度は足を運んでみたいと思っていた。

そんなきっかけを与えてくれたのは、5年前 ピースボートセンターおおさか で行われた勉強会である。

その勉強会では、98回クルーズに乗船したスタッフがアウシュヴィッツのツアーの話をしてくれた。
とても詳しく書いているブログがあるのでそちらも見てほしい。
二度と過ちを犯さないために加害の歴史と向き合うドイツの試み

現地に行った感想を一言でいうと、「人間って恐ろしいな」。

自分が気に入らない人を排除しようした結果、アウシュヴィッツ強制収容所で110万ものユダヤ人らが虐殺される大惨事になった。

現地に足を運ぶと、当時のユダヤ人が身につけていたメガネや洋服、靴、カバン、さらには髪の毛などが展示されていた。

この持ち主のユダヤ人の大半は故意的に毒ガスなどで殺されてしまったと思うと本当に背筋が凍った。

ポーランドへ出発する前から船内で行われる自主企画として報告会を行うことを決めていた。

しかし、現地に足を運んで見てきたものが今のボクたちにとってあまりにも衝撃が大きすぎて伝えることができるのか、はたまたボクらが伝えるべきなのかと葛藤した。

それでもボクたちにしか伝えられないことがあると決意し、報告会をひらいた。

報告会中に、思いが溢れて言葉がでなくなった。会場には、はなを啜る音が微かに聞こえる。

会場にいた150人の方の応援もあって、「ボクたちがアウシュヴィッツを訪れて感じたこと」を伝えることができた。

報告会が終わった後に、たくさんの方にあたたかい言葉をかけてもらった。その中には、「今度は、ボクもアウシュヴィッツに行ってみるよ」と言ってくれる大学生もいた。

5年前に、ピースボートセンターおおさか でもらったバトンを次の人に渡せた気がした。その大学生も次の人にバトンを渡していってくれたらいいなと思う。

「おりづるプロジェクト」を通して学んだ核兵器の脅威

ピースボートのプロジェクトの一つに「おりづるプロジェクト」がある。被爆者の方々に乗船してもらい、核廃絶のメッセージを世界各地に届けるプロジェクトだ。

プロジェクトに参加した被爆者の方が船内で講演会をしてくれる機会があった。被爆した時の状況をこと細やかに話してくれた。

広島に落ちたあの原爆の写真を見て、この船で一緒に旅をしている仲間が当時、キノコ雲の下にいたことを知った。

原爆は他の兵器と違って、使ったら放射能の影響で、その土地に住めなくなり、かつ誰もその土地に支援にいくことができなくなるという最悪な兵器だ。

そんな兵器が世界には12,000発もあるのだ。

兵器を持っている国が持ってない国に対して権威を見せる。いわば核兵器は力の象徴になってしまっているのだ。

しかし、そんな世界の中で、2021年に核兵器禁止条約が発効された。核兵器を持ってない国や核を持ってはいけないという国が多く賛成してこの条約ができた。

また、この条約ができる過程には、被爆者の方含め市民のみなさんが諦めずに続けた核廃絶の運動があった。

ピースボートは、この市民運動を牽引してきた「ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)」の国際運営団体であり、ICANは2017年にノーベル平和賞を受賞した。

ピースボートの船にも大きく掲げられている「ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)」のマークには様々な人の思いが込められているんだと実感した。

平和を育てる教室を目指して

Voyage117クルーズを通して、たくさんの学びがあった。

水先案内人の講座や、現地のツアーなど消化できていないことがたくさんある。

今回の船旅を「いい学びの場だった」で終わらすこともできるが、先生としてこの船旅で見てきた世界のことを子どもたちに伝えていく責任があるだろう。

現地のツアーガイドの人やピースボートのスタッフ、水先案内人の方、被爆者の方、一緒に船に乗った教師の先輩にもどうやって伝えていくのか相談した。

ボクが出した結論の一つは「平和の種をまく」ことだ。

教室に平和に関する絵本をおいてもいい。なんなら、なんでもない日にその本を読み聞かせしてもいい。

授業でちょこっと世界で起こっていることの話をしてもいい。旅の写真を飾っててもいいかもしれない。

それがきっかけで、その子が興味を持ってくれた時に、詳しく話せればいい。

教室や学校でそんな「平和の種」をまくことで、平和の大切さに気づくきっかけを仕組んでいこうと思った。

こんなにたくさんの学びや気づきがあるVoyage117に乗れて本当によかった。

この船旅の経験をお守りとして、これからも子どもたちと関わっていこうと思う。

報告会を開催します

平和の種まきの第一歩として、今回の旅の経験を伝えるイベントを ピースボートセンターおおさか で開催します。今回のブログに書いていることを更に深掘って話していきますので、ぜひお越しください。

1回目:10月3日(木)「バトンを繋ぐ~アウシュヴィッツ強制収容所を訪ねて~」
2回目:11月下旬「太陽が昇る街「ランガ地区」で見たアパルトヘイトの今」
3回目:12月中旬「”軍をもたない国”に必要なものとは~コスタリカから見る平和の育て方」

詳しくは、ピースボートセンターおおさか までお問い合わせください。参加したいという方もピースボートセンターおおさか にご連絡ください。

文:北川航次  編集:森田幸子