知られざる世界、ラテンアメリカとカリブ海の国々 後編

【地球を旅するピースボートスタッフがみる「世界」】地球の裏側で紡がれる軌跡

【地球を旅するピースボートスタッフがみる「世界」】シリーズ

「地球一周の船旅」を出し続けることで地球を楽しみ、世界中の人々と出会い、文化・歴史を学び、紛争・環境・人権問題などグローバルな課題に取り組むピースボートスタッフが、ごく個人的な視点と興味でつづります。

ピースボートスタッフの野々村修平です。「知られざる世界、ラテンアメリカとカリブ海の国々」後編をお届けします。前編をご覧になっていない方はこちらもどうぞ↓

遠い国で活躍する日本人

マチュピチュと日本の意外な関係

世界的に有名な世界遺産があるペルーのマチュピチュ村には、日本と繋がりが深い歴史が残っています。それは、マチュピチュ村の初代村長が日本人だということ。その背景にはおよそ100年前、野心を胸にペルーへ渡った一人の日本人男性の姿があリました。

名前は野内与吉(ノウチヨキチ)さん、福島県大玉村の出身です。21歳の時にペルーに渡り、農園での職を経て、ペルー鉄道(FCSA) で勤務します。この時にマチュピチュ付近までの鉄道建設に従事し会社専用電車の運転や線路拡大工事に携わりました。

その後1929年頃からマチュピチュでの生活を開始。村民からは「7つの職を持つ男」と呼ばれていたそうです。川から水を引いて田畑を作り、村に水力発電をつくり電気をもたらしました。また温泉を発見し村民に癒しを与え、機械が故障した際には器用な手先を使って修理まで自分で行います。

1935年にはこの村で初の本格的木造建築である「ホテル・ノウチ」を建設。郵便局や交番などとして部屋を無償で貸し出し、このホテルを中心に地域は大きく発展。いまではマチュピチュ村は、村というよりかは一大観光地として栄えています。

<マチュピチュ村>

スペイン語の他に先住民の言語であるケチュア語と英語を巧みに操り現地ガイドにさえなってしまいます。これらの業績から、村民の絶大な信頼を受け1939〜1941年の間、村の最高責任者である行政官を務めました。1941年にマチュピチュ村が正式に誕生したことで日本人でありながら初代マチュピチュ村の村長として任命されました。

<マチュピチュ村>

野内さんの死後、彼の功績を称え2015年にはマチュピチュ村と、彼の生まれ故郷である大玉村との友好都市協定が締結されます。マチュピチュ村はこれまでも世界各地から友好協定締結を求める声が届いていましたが、締結をしたのは大玉村が世界で初めてでした。 これは世界初の偉業として語り継がれています。

ラテンの国が持つ独特の空気感

ラ米には独特の世界観があります。ひとえに表すことが難しいのですが、簡単に言うのであれば、現地の方となぜかすぐに仲良くなれてしまう、というものです。

これも一種の考察に過ぎませんが、ラ米及びカリブ諸国は社会主義の影響を受けているからだと思います。それは資本主義の世界に生きてきた日本人にとって、違和感を覚えるかもしれません。しかし最低限の生活が保証される社会主義の世界では、金銭に囚われず自分の人生を謳歌しようと楽しんでいる人たちの姿が印象に残ります。陽気で明るい国民性はそこから生まれたのではないでしょうか。

例えば、海が美しいカリブ海に浮かぶキューバは、キューバ革命を経て社会主義の道を歩み出します。このキューバ革命はラ米とカリブ諸国の歴史を語る際に外すことができない重要なポイントです。

革命家フィデル・カストロとチェ・ゲバラ

キューバは大航海時代にコロンブスが発見し「この世で最も美しい場所」と言い表せられた国です。小説家ヘミングウェイが愛した地であり、モヒートと葉巻が有名ですね。エメラルドグリーンに輝く海は、カリブ海の真珠と呼ばれるほどです。

<バミューダ諸島>

元々アメリカ大陸は世界に認知されていなかった為、コロンブスの新大陸発見と同時に認知されます。キューバには先住民族が静かに暮らしていましたが、その後長らくスペインの統治下に置かれることになります。1902年にスペインから独立後もキューバはアメリカの支配下におかれ、傀儡(かいらい)国家となります。傀儡とは「操り人形」の意味です。

サトウキビが名産品であるキューバは元々資本主義でした。しかし必死に働いてもそのほとんどの利益がアメリカに流れ、且つキューバの一部の富裕層にしか還元されません。積もり積もったフラストレーションが、その後革命へと様変わりしていきます。

当時革命を先導したのが、キューバのフィデル・カストロとアルゼンチン出身の医師チェ・ゲバラでした。チェ・ゲバラの「チェ」はスペイン語で親しみを込めた呼びかけの言葉です。日本語で言うと「やぁ!」。ゲバラがよく挨拶の時に「チェ!」と言っていたので、ニックネームとして付けられたんですね。本名はエルネスト・ゲバラ。

<左:フィデル・カストロ/右:チェ・ゲバラ>

米国の傀儡政権であるバティスタ独裁政権を倒し革命は成功します。カストロが実施した社会主義は国民を拘束し自由を奪ったと思われがちですが、搾取差別されていた米国支配からキューバ国民を救ったヒーローと現地では賞賛されています。

キューバ革命は非常に複雑な構造で、これだけでも数回分のブログ記事が書けてしまうほどです。そのため大部分の説明は割愛します。ただ興味がある人がいらしたらぜひ見ていただきたい映画が2作品あります。紹介させてください。

1)モーターサイクル・ダイアリーズ
2)エルネスト~もう一人のゲバラ~

後者の作品は、フレディ・前村・ウルタードという日系2世の青年が主人公です。ここでもキューバ革命の最前線で戦っていた人物が日本にルーツを持っていることがわかります。

ラテンアメリカと欧州の関係

ブラジルの公用語はポルトガル語です。キューバはスペイン語ですね。ではなぜ遠い欧州の言葉が用いられてるのでしょうか?

大航海時代(15~17世紀頃)がポイントです。ポルトガルの首都リスボンには、「発見のモニュメント」という巨大な建造物が建てられています。

簡単にいうと世界の新たな地域を発見した偉大な功績を生涯称える記念碑です。この大航海時代の口火を切り先頭を駆け抜けた人物がいます。それがポルトガル第二の都市ポルト出身のエンリケ航海王子です。それまで未知の領域だったアフリカ西岸の踏破を達成させたことで、大航海時代の幕を開きました。発見のモニュメントの先頭にはエンリケ航海王子の姿が見られます。

アメリカ大陸は大航海時代に新大陸として続々と発見され、発見国の統治下に置かれていきます。即ちポルトガルが発見した国はポルトガル領になり言語はポルトガル語に、スペインが発見すればスペイン語で統治されるわけです。当時、ポルトガルは航海をする中で膨大な資源を有するラ米を支配し、且つ先住民族を奴隷化しました。

ここが世界史を大きく2分する考え方です。欧州では新大陸の発見は偉業として扱われ、且つ発見した張本人たちを英雄と記しました。では、ブラジルやベネズエラで使われている歴史の教科書では欧州はどう書かれているのでしょうか。答えは単純明快です。欧州の国々に侵略され先住民が奴隷化されたと正反対の内容が記載されています。英雄と悪魔は紙一重の存在ということですね。

私たちが学んできた教科書の内容は、日本に適応された内容だということも忘れてはなりません。教科書問題を理解するには、世界の情勢を俯瞰し分析する必要が生じます。日本の教科書には、エンリケ航海王子は新大陸を発見した英雄だと書かれています。これは何故か?

ラ米及びカリブ諸国に焦点をおいて説明しますね。ベネズエラとキューバは米国と緊迫した関係化にあります。つまり国交は存在しません。日本と米国の関係は、一般論としては良好です。あくまで一般論。両者の関係から導き出される解は、日本が米国を揶揄する内容を控えることは至極当然だということ。

よって米国寄りの内容で教科書が発行されるわけですから、ベネズエラやキューバの侵略された側にはほとんど立たないわけです。

私が一番に述べたいことは、日本に居座っていては【世界の半分しか見えない】ということ。生の裏に死があるように、偉大な功績の裏で誰かの希望が失われているかもしれません。この両者の気持ちを理解できることこそがグローバルに物事を思考するということです。

英雄、シモンボリバル

では、本連載の最後にカストロやチェ・ゲバラと同じくラ米の英雄を紹介したいと思います。ベネズエラは過去スペインに統治されていました。18世紀後半、スペインへの不満が募り独立運動が活発化します。

現首都カラカス出身の軍人シモンボリバルは、ベネズエラ・コロンビア・エクアドルなどを合わせてグランコロンビア共和国を建設。一つの小国だけでは勝てなかったスペイン軍を、同盟国を作ることで勝利し独立を手にします。その後、パナマ・ペルー・ボリビアも独立へと導いたボリバルは「ラ米解放の父」と呼ばれます。

<シモンボリバル>

現在もベネズエラの各地域に訪れるとボリバルの残した功績が如何に偉大であったのかを思い知らされます。カラカスの街にはボリバル通りがあり、紙幣もボリバル、空港もシモン・ボリバル空港。それだけ影響力が強かったということですね。ベネズエラに訪問すると、街の至る所でボリバルの肖像画を見ることができます。ラ米を語るうえ欠かすことのできない存在ですね。

<ベネズエラの首都カラカス>

ですが先ほどの考え方を思い出してくださいね。ラ米ではボリバルは英雄ですが、スペインから見たらは敵だということ。文字だけで歴史を認識することはできません。これからは2つの視点に立って俯瞰することを意識づけてくださいね。

<カラカスの貧困地区バレオ>

総括

歴史上これらは遥か昔の出来事です。もちろん私たちの知能は無限ではありません。歴史は語り継がれることはあっても、その記憶は必ず風化してきます。日本には、侵略という言葉自体が馴染まないと思っている人が多いでしょう。しかしそれは世界規模で見るとマイノリティーな思考です。世の中には独立を得るために今もこの瞬間、争っている地域はたくさんあります。忘れてはいけません。

より良い世界を築くために、私たちは世界を駆け巡らなければいけません。情報社会の恩恵を受けて、日本にいても今はなんだって知ることができます。でも実地での学びは、文字上で表すことができない本当の学修です。書籍や文献から情報を取得するには限界があります。文章なんて主観を織り交ぜ簡単に改竄できてしまいますから。何が正しいのかは、自分の眼で確かめる他ありません。これはまず間違い無いでしょう。

「旅が平和を作り、平和が旅を可能にする」 この一文に、大切なことが詰まっています。

今回はラ米編でした。恐らく知らないことの方が多かったかと思います。まずは、どんなことにでも興味を持っていただく初歩に繋がれば幸いです。「人はいつからでも変われる」 明日から始めようとしていることは今日からでも始められますよ。これを末尾に記して、筆をおきます。

みなさんが、旅に出る何らかの影響を与えられますように。

<野生のシロムネオオハシ。野生ですよ!>

 

ピースボート 野々村修平