負の世界遺産「アウシュヴィッツ強制収容所」をおとずれるピースボートのツアーに参加して平和について考えました。

こんにちは。ピースボートスタッフの村上佑理です。今年は、第二次世界大戦の終結から75年目にあたります。それにあわせて日本では8月にさまざまな平和イベントが行われると思いますが、ヨーロッパでは今年5月8日に終戦から75年目をむかえました。

この日、ドイツのシュタインマイヤー大統領が国民や世界にむけておこなったスピーチの中で、「記憶するという営みに終わりはありません。私たちの歴史から解き放たれることはありません。記憶を呼び起こさなければ、私たちは将来を失ってしまうからです」と、加害の歴史を直視することの大切さを強調しました。

そしてこのように続けます。「過去を想起する営みは重荷ではありません。想起しないことこそ、重荷になるのです。責任を認めることは恥ではありません。責任の否定こそ、恥ずべきことなのです。」

ドイツの人々は長年、自らの国が犯した過ちを受け止め、学び、伝えてきました。そしてその結果、被害を受けた国々と信頼関係を結びなおしてきました。

私はピースボートの船旅に参加したとき、ドイツが多くのユダヤ人を虐殺した歴史を学ぶツアーに参加しました。そこで、現在のドイツがどのように歩んできたかを実感することができました。その中には、私たちが現在の社会を考えるうえでも参考になるものが多くありました。私がツアーで経験したこと、考えたことを2回にわけてご紹介します。

ナチスドイツによるユダヤ人大虐殺の歴史を学ぶスタディーツアー

<対話と祈りのセンター前でのツアー参加メンバーの集合写真>

スタディーツアー「負の世界遺産 アウシュヴィッツ強制収容所へ」に参加し、ナチスドイツによるユダヤ人大量虐殺「ホロコースト」や残虐な人体実験、数多の銃殺が行われた場所を訪問しました。

アウシュヴィッツは第二次世界大戦時、ナチスドイツによるユダヤ人絶滅政策で最大の犠牲者を出したポーランドにある強制収容所です。一度収容されると生きて帰れないと恐れられたことから、その名を絶滅収容所とも呼ばれていました。

ツアー参加者は学生や社会人、定年を迎えたシニアの方まで、さまざまな年齢や境遇の17人。そしてサポートスタッフと通訳スタッフを合わせた計19人です。スタディーツアーということもあり20代の参加者が最も多かったですが、年齢の垣根を越えて意見交換や交流を行うことができました。

シンドラー博物館

シンドラー博物館は、ナチスドイツによるホロコーストの最中に1,000人以上のユダヤ人を救い出した実業家オスカー・シンドラーを記念してつくられました。シンドラーは、自分が経営している軍需工場にとって彼らは必要な生産力だという名目で強制収容所送りを阻止しました。 博物館はこの軍需工場を改装してつくられました。

<実際にシンドラーのリストに載っていたユダヤ人たちの名前>

展示は時系列に沿って進み、当時の街の様子や強制収容所に関する資料、現存の写真や遺留物を見ることができました。また館内には、スティーヴン・スピルバーグが監督した映画「シンドラーのリスト」の撮影で使われた場所も残されており、映画の雰囲気を体感することもできました。

オスカー・シンドラーという人を知ることで、人は誰しも善人にも悪人にもなり得る可能性があるのだなと思いました。シンドラーは多くのユダヤ人を救った英雄とされ称賛されていますが、もともとはナチス寄りの利益追求しか考えない工場経営者でした。

しかし、あるときから無力なユダヤ人たちの命を非道なナチスの手から守ろうという活動を始めます。そのきっかけがどこにあったのかはシンドラーにしか分からないことだと思いますが、わたしはシンドラーが根っからの善人ではなかったというところに親近感を覚えたし、希望がみえた気がしました。

<リスト作成に使用されたタイプライター>

ナチスを率いていたヒトラーは、ユダヤ人が多く在籍していたウィーンの大学を受験しますが、不合格になり、ユダヤ人への憎しみをもつきっかけの一つになったといわれています。もし、ヒトラーが大学に入学し、ユダヤ人の親友ができていたとしたら、こんな残虐な出来事は起きてなかったのではないかなとも思いました。

生まれながらの善人や悪人はいない。その人がどんな人と出会いどんな経験をするかで、どんな人生を送るかは変わってくるのだと思いました。

対話と祈りのセンター

<対話と祈りのセンター。緑豊かな場所にありました>

対話と祈りのセンターは、世界中の若者を招いてアウシュヴィッツの歴史を学ぶ宿泊施設。私たちはこの施設に二日間宿泊しました。センターではツアーメンバーとのディスカッションをはじめ、アウシュヴィッツ生還者の証言会、センターでお世話になったシスターやドイツ人のボランティアスタッフとの交流を行いました。

強制収容所に「訪問する」だけでなく、このような凄惨な歴史を繰り返さないために何ができるかを「考える」場として、センターではかけがえのない時間を過ごすことができました。

そこでアウシュヴィッツでボランティアをしているドイツ人の高校生と話をしたことがとても印象に残っています。彼女と話して感じた1番の衝撃は、ドイツと日本の平和教育の違いです。

<ドイツ人ボランティアの高校生と>

私は広島県出身のため、幼いころから郊外学習で平和記念公園に行ったり、8月6日は夏休み中ではありましたが登校日に指定されており、戦争の歴史を学び平和について考える機会がありました。平和教育には他の都道府県よりも力のいれている広島県で育ちましたが、ドイツのはなしを聞き、意識の高さに驚きました。

まず、日本では歴史の教科書のほんの数ページにまとめられている第二次世界大戦ですが、ドイツでは歴史の教科書とは別に世界大戦について学ぶ教科書があり、授業が用意されているそうです。また、日本の教育では加害の歴史の多くは学びません。しかし、ドイツの人は自分たちの国が犯した過ちを真摯に受け止め反省し、子どもたちに伝えています。

日本では被害を受けた日が戦争の記念日になっていることが多いのに対して、ドイツでは加害を与えてしまった日を戦争の記念日にしているということも印象的でした。

 

後編では、いよいよアウシュヴィッツ強制収容所を訪問します。

 

ピースボートスタッフ 村上佑理