「未来のために今を生きる」德永涼子

ピースボートセンターおおさか(ピーセンおおさか)ではたらくスタッフを紹介します。今回は、おしゃべり大好きなポジティブガール・德永涼子です。

德永涼子 Tokunaga Ryoko(通称:ほたる)

福岡県宗像(むなかた)市出身

ピースボートに乗船するまでは福岡県外に住んだことがなかったほたる。地球一周後にピースボートスタッフとなって東京、そして横浜で勤務したのちピースボートセンターおおさかにやってきました。

音楽や動画、アニメや漫画などから好きな言葉と出逢うことがマイブームだそうです。ほたるのお気に入りはこちら↓

「実る努力と実らない努力」
お笑い芸人・みやぞんさんの言葉
ただひたすらにやれば全部が実るわけじゃない。楽しんでする努力は報われると教えてくれた言葉。

「いつだって今日が人生のピーク 超えていけ 踏み出す人の真ん中にある決意は未来だ」
SUPER BEAVERの曲『ひたむき』より
何かを始めるのも何かを決断するのも、その時その瞬間のこと。常に考え、常に向き合えば、いつだってピークをつくることができると考えさせられた言葉。

ほたるの趣味は人と“自分自身”のことを話すこと。初対面でも長い付き合いでも自分をさらけ出して話すことが好きで、さらけ出し合えた瞬間のなんとも言えない快感が癖なんだとか(笑)。

ほたるの特技は「物事の捉え方をポジティブにすること」。

元々は結構なネガティブ思考だそうですが、いろいろな人と話したり、いろんなことを経験していくうちに「こう捉えたほうが楽しい、嬉しい」とコツを掴んだかのようにポジティブな面についても考えられるようになったそうです。

そして今では「ポジティブに考えることが特技!」と言えるほたるは、周りのみんなにもポジティブパワーをくれる存在です。

私は地球一周を目指すみなさんの伴走者です!

ピースボートのボランティアスタッフは、地球一周ポスターを貼ったり、ポスターの準備をしたり、お問い合わせをいただいた方へ資料を発送したり、様々な活動を行っています。

そのような活動をすることで、ボランティアスタッフは船賃の割引を受けることができます。ピースボートの活動に関われば関わるだけ、地球一周がしやすくなります。

地球一周の夢に向けて、日々多くのボランティアスタッフが活動しています。

私はそんなボランティアスタッフ達をサポートをしています。

<ボランティアスタッフのみなさんと@ピースボートセンターよこはま>

街中でよく見かける「地球一周の船旅」のポスター。

そのポスターは誰かが自身の夢のために起こしたアクションの軌跡です。

あなたが見たそのポスターがもしそこに貼られていなかったら、ピースボートのことを知らなかったかもしれない。

ポスターがそこにあるということは、「地球一周をしたい」と夢見た誰かが貼っていて、それを許可するお店の方がいて、初めてなりたつんです。

そしてそのポスターを見たまた別の誰かが地球一周に憧れてまたその人自身の夢を描く。

その夢の受け渡しをするのがポスター。ピースボートの地球一周ポスターは「夢のバトン」なんです。

そのバトンをつなぐのは決して楽しいことだけではない時もあります。

夏は暑い中、冬は寒い中…。季節だけではありません。貼れなくて悔しい思いをする時もあります。目指す目標に対してなかなか思うようにいかないこともあります。

私自身もピースボート乗船前にそれを経験しているからこそ、一緒に駆け抜けられる。だからこそ受け取ったバトンを落とさないようにボランティアスタッフたちのとなりで伴走したいと思っています。

地球一周 行かないと後悔する!

<サグラダファミリア@スペイン>

ピースボートと私の出会いは高校2年生の時、アルバイトをしていた店に貼ってある一枚のポスターでした。これまで頭の中になかった「地球一周」というワードがひっかかりました。

ポスターを見てみると、聞いたことのない国や地域がたくさん書いてあり、そこには「99万」という文字。※船賃はクルーズごとに違います。

小さいころから海外への興味があった私。ヨーロッパのきれいな街並み、チョコレートの裏側にある児童労働とフェアではないお金の行き来、小中学校へ定期的に体験入学に来ていた海外の同級生。知りたいと思うことが周りにあふれていました。

そんな私にはたくさんの国に一度で行ける、しかも「船」という生活できる環境が整っているその金額は、安く感じました。

その時私は、通信高校の学費のためにバイトを必死に頑張っていて、行きたいと思っていた海外はそのまた次だとあきらめかけていました。

99万円の買い物なんてしたことがありませんでした。それなのに手が届きそうな気がしました。

そこでピースボートセンターふくおかへ説明を聞きに行きました。スタッフさんに地球一周について話をしてもらい、そこで即決しましたね。

わくわくする世界が目の前に広がって、「行かないと後悔する!」と思ったので、費用のことやパスポート未所持の初海外であるということも忘れて、申し込みしたのを昨日のことのように覚えています。

南アフリカで気づいた大切なこと

私がピースボートに乗船すると決めたとき、自分とした約束は「ピースボートでしかできない体験をメインにしよう」ということでした。

もともと海外へのあこがれがあった自分が悩んでいたのは、「何のために行くか?」でした。

英語が学びたいわけではない。世界の文化を楽しむなら1か所に長くではなくてたくさんの国を渡り歩けたらいいな、でももっとその地に住む人たちのことや歴史も知りたい、と欲張りな私はそれをかなえてくれるピースボートに出会ってしまいました。

ピースボートには、文化や歴史を学んだり人々と交流したりするオプショナルツアーが充実しています。

その中でも私が参加して一番心に残ったのは、「南アフリカ最大のタウンシップ・ソウェトへ 」というツアーでした。

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南アフリカは1948年から1990年代初めまでアパルトヘイトという政策を実施しました。法によって定められた人種隔離と差別の制度で、白人が非白人(主に黒人)を支配するものでした。その影響は今も続き、根強い差別や経済格差が問題となっています。

アパルトヘイト時代は人種によって生活区域が分けられました。かつての黒人専用居住区をタウンシップと言い、ソウェトは南アフリカ最大のタウンシップです。

ソウェトで目の前に広がっていた貧しいトタン屋根の家々と、後ろにつながる草原、さらに奥にはオレンジの屋根と白い壁の大きくて立派な家々が連なる街。かつての黒人専用居住区と街を隔てる草原は、大きく分厚い壁のようにさえ見えてくる光景でした。

ソウェトで、アパルトヘイトを経験した方の証言を聞きました。その内容はあまりにも残酷で非人道的でした。

そして感じたのは「この町が歩んだ歴史と現状を学ばなければ、同じ非人道的な状況を誰でも作れてしまう」という恐怖でした。

人は単純で、人は残酷で、常に偏見を持ち続けてしまう一面を持っている。このツアーで気づけたことです。これを心に留めておかなければ、私たち自身もこのような歴史を繰り返してしまう可能性があります。

アパルトヘイトが終わった時、弾圧されてきた人々は歴史を繰り返すのではなく、人種関係なく人としての尊厳を大切に歩もうと考えました。人々は新たな未来に向けて歩んでもいました。

教科書の一文をただ読むだけではない、歴史の中に生きる人々とその先にある今を生きる人々と出合って、学ぶことができた特別な時間でした。

泣きまくった運動会 実行委員長

<4チームに分かれて洋上運動会>

ピースボートの洋上では運動会が実施されます。船の上で運動会って…なかなか想像できないですよね(笑)。

これも船に乗る前に決めていたのですが、船を盛り上げる一員としてかかわりたいという想いから、企画チームに所属し、運動会では、実行委員長を務めました。

当時19歳の私は、企画チームの年上の人たちとどう作り上げていくのか、リードできるのか、そもそも仲良くなれるのかといろいろなことを考え、悩み、散々泣きました。

そのおかげで当時を知っているスタッフや参加者からは「泣き虫ほたる」というあだ名をもらうほど(笑)。それほどいっぱいいっぱいになるくらい考えていました。一生懸命だったんです。

<スタッフになった今も相変わらず「泣き虫ほたる」@ピースボート船上>

運動会が実施されたのはクルーズの前半でした。それから2か月ほど経ち、クルーズも終盤に差し掛かっていました。

レストランでたまたま一緒のテーブルになった70代くらいの方が、「あ、あなた運動会でスタッフしていた子ね」と覚えていてくれました。(そりゃそうです。実行委員長の挨拶で何百人もの前で泣きながら話していたので…(笑))

そしてそのあとに言われた言葉でピースボートスタッフになろうと決意します。

「とっても楽しかったよ。すごく思い出に残る運動会をありがとう」

この一言で食後、席を外して泣きました。うれし泣きです。思い出に残るイベントを作った1人として私を見ていてくださったことがとても嬉しかったんです。

それと同時にこみ上げたのは悔しいという感情です。

私はそう言ってくださった方が運動会当日どう楽しんでいたのかわからないのです。一緒に顔を見合わせて楽しみたかった、もっと参加してくださった方々の表情を目に焼き付けたかったと思い、リベンジを誓いました。

あなたの可能性に気付いてほしいから船を出し続ける

<お仕事中。スペインでのツアーで通訳さんと打ち合わせ。青ジャケット着ているのがほたる>

実は私、中学3年から高校2年まで不登校や自傷・自殺行為を繰り返していました。

自分を諦め、生きていてはいけないと思っていた日々。

でも命を絶つことさえできなかった私はどうせ生きてしまうのであれば、残りの人生は楽しく生きたいと考えが変わりました。

その結果ピースボートに出会い、乗船。船内では常に人やできごと、そして自分と向き合う時間がありました。

そんな日々を繰り返すうちに、生死を意識する日々が減っていきました。しまいには、ピースボートスタッフになって誰かのきっかけになりたいと自然に未来を見据えて行動している自分がいました。

これは一人旅ではなかなかできなかったと思います。同じ国や地域を訪れているのに見ている景色も感じることも考えることも違う。そんなたくさんの仲間たちと旅をして、初めての人にもたくさん会って話してまた旅が進んでいく。

そんなピースボートならではの繋がりがあったからこそ、未来のために今を生きる自分がいます。

<ボランティアスタッフと一緒にキャンドルナイトイベント@ピースボートセンターよこはま>

世の中には衝動や、些細なきっかけから自死を選択する、過去の自分のような人が、たくさんいると思っています。それが間違っているのか正しいのかなんて誰も知りません。

でも誰にでも「私にはたくさんの可能性がある」と気づくことができると信じています。

私にとっては自分の力で地球一周ができたという自信や、旅先での多くの出会いが、私の可能性に気づくきっかけとなりました。

そんなきっかけが転がっているピースボートという、面白くて変わった存在があるんだよということを知ってほしいから、私はピースボートスタッフとなって、船を出し続けています。

私と一緒に地球一周しましょう!

<アテネのエレクテウム寺院の遺跡@ギリシャ>

ピースボートにもし出会ってなければ…。

ピースボートセンターふくおかに行こうと行動していなければ…。

船に乗ろうと思っていなければ…。

そんな別の未来が私自身、思い描けないくらい、最高の人生の再スタート、通過点になったピースボートの旅をこれからも一緒に作り続けていく仲間を募集しています。

ぜひ一緒に旅に出ましょう!

 

文:德永涼子  編集:森田幸子