森田 幸子 Sachiko MORITA(通称:アイフル)
京都府出身、在住。
趣味は読書、散歩。好きなモノは、鍾乳洞とサメと遺跡。どれも昔からの時の流れを感じることができるから。
『アイフル』と呼ばれています。
地雷の除去や被害者を支援するためのプロジェクト、ピースボート地雷廃絶キャンペーンP-MACを担当しています。
支援先のカンボジアを訪れてスタディーツアーを実施したり、地雷除去団体や地雷原のある村の人々と会って、地雷除去する場所について相談しています。
地雷問題を多くの人に知ってもらうために、出前教室「なんだろう地雷出前教室」の講師として、全国の学校などで講演活動も。
地雷廃絶活動に尽力するアイフルは、どんなきっかけでこのような活動に至ったのでしょうか?
百聞は一見に如かず。されど百見は一行に如かず
地雷被害者と出会った旅
大学生の時、友達と一緒に旅行で訪れたカンボジア。目的は世界遺産「アンコールワット」。今では有名な観光地であるアンコールワットにも、そのころはほとんど観光客はいませんでした。
そんなカンボジアで、たくさん目にしたのは手や脚を失った地雷被害者たちが物乞いをする姿。知っているつもりだったけど、テレビや新聞で見る世界はほんの一部分でしかないと痛感しました。
聞くだけよりも、見るだけよりも、まずは自分が行かないとわからないことがたくさんあります。
ピースボートの船旅で知った地雷原で暮らさなければならなかった人々
地雷問題に興味を持った時に知ったのが、カンボジアの地雷除去のための募金活動をしていたピースボート。
地雷の事って、なかなか情報探しても出てこないから、とりあえずピースボートの事務所に行ってみよう!と、はじめてピースボートを訪れてから「地球一周の船旅をやってるんだ」と、気づきました(笑)。
ピースボートの船旅に参加した時には、韓国の地雷原の村に行き、地雷被害者と交流しました。
朝鮮戦争で多くの地雷が埋められ、被害にあっている人もいる。とても身近で、気軽に行ける国にも地雷の問題があることに驚きました。
そして、戦争のために地雷原となった場所で暮らし、地雷を踏んで脚を失った人が言った言葉が忘れられません。
「そのころ、周りの人たちと合言葉のように言っていたのが『飢えて死のうが、地雷を踏もうが、やってみなければわからない』。地雷被害にあうかもしれなくても、地雷原を耕すしか生きる方法がなかった」。
人々が、ただ一生懸命生きようとする、それさえも壊してしまうことに怒りを感じ、その状況を少しでも変えたい!と思いました。
同じ船に水先案内人として乗船していたのが、様々なメディアで活躍していた軍事ジャーナリストの方。
地雷問題に興味を持ち始めていた1人の参加者である私に、時間をつくっていろんな話を聞かせてくれました。
それが、私がピースボートで地雷問題に関わるきっかけの一つにもなりました。様々な専門家の方と気軽に話ができるピースボートの船ってとてもすてきな場所だと思います。
誰もが世界をかえる可能性を持っている
私が関わっているピースボート地雷廃絶キャンペーンP-MACは、1998年から地雷を除去するための募金活動を続けています。
これまで、その募金でカンボジアの地雷を除去して、その土地に小学校や保健所を建設してきました。その他にも人々が住む場所、田畑などとして、そこに暮らす人々がもっとも必要とする用途に使われています。
地雷がなくなり、小学校ができたことで、子どもたちは教育を受けることができるようになる。安全な土地で田畑を耕すことで、家族みんなが安心して生活できるようになる。
そんな小さな村の小さな変化が、世界を平和にかえる第一歩なんだと思います。
ピースボートに関わり続ける理由
様々な場所、環境で暮らす人々と出会い、学び、考え、そして行動を起こすことで、少しずつ、でも確実に世界をかえることができます。そんなきっかけを生みだすピースボートの船旅は、とても貴重なものだと思います。
その中でもピースボートセンターおおさかは、私のピースボートライフがはじまった原点。ここを訪れることで新しい世界に出会う人が増えれば嬉しいです。