地球一周の長さは何キロ?徒歩で地球一周すると何日かかる?

こんにちは。地球一周クルーズピースボートスタッフの野々村修平です。最近は海外の空気に触れられる機会が一気に減ってしまいました。しかし海外旅行が再開することをじっと待つのではなく、先に予定を立て目標を持つことにより、今の億劫な世の中が少しでも楽しくなるのではないでしょうか。

そこで今回は、旅にも様々な種類がありますが「徒歩」に焦点を当ててみました。そもそも地球一周は何kmなのか、徒歩で地球一周はどのくらいの日数を要するのか、これらについて考えていきます。今後の旅の参考になれば幸いです。

地球一周を徒歩でした場合の日数は?

<ニューヨークのタイムズスクエアで>

大手スポーツメーカーNIKEの創業者フィル・ナイトはこのように述べます。

「人が1日に歩く歩数は平均7,500歩
一生のうちでは約2億7,400歩
これが地球一周の距離にちょうど相当する」

地球一周の長さと距離を調べた最古の人物

2億7,400歩に相当する地球一周の距離はどのくらいでしょうか?世界でいち早く地球一周の長さを計算した人物は、エジプト出身、古代ギリシア人のエラトステネスです。

<エラトステネス>

エラトステネスは、夏至の日にシエネ(エジプト南部、現在のアスワン)とアレクサンドリア(カイロに次ぐエジプト第二の都市)の2つの町で、同時刻に測った太陽の角度(高度)が異なることから、地球一周の大きさを計算できるのではないかと思ったそうです。

その当時用いられていた計算方法は中学校レベルの数学でした。夏至の日の正午、シエネには太陽光が真っ直ぐ(90°)に降り注ぎ地上では影ができなかったことに対し、同日のアレクサンドリアでは太陽光が7.2°傾いていることが分かりました。

また陸から遠ざかる船をボーッと眺めていると、水平線に対して船が海に沈んでいくかのように見えたことから、地球は丸いと推測します。

球体であれば地球の全周は360°

7.2°の傾きを錯角を用いて計算すると、360÷7.2=50

つまり、シエネとアレクサンドリアの距離が地球の1/50ということが分かります。

この2つの町の距離を計測したところ925km

925km×50=46,250km

このような計算が、2200年も前に導き出されました。面白いですね。

地球一周の長さは何km?約4万キロ

国内にも目を向けて見ましょう。「大日本沿海輿地全図」を作った伊能忠敬も同じく徒歩で日本を旅しながら地球一周の長さを導き出しました。彼は230日間の行程を毎日40km歩いたそうです。信じられませんね。

<大日本沿海輿地全図>

忠敬は日本全国の正確な地図を初めて作成したことで有名ですが、天文学者だったことはあまり知られていません。では忠敬はどのような方法を用いたのでしょうか?エラトステネスとは異なり、緯度1°の長さから地球一周が何kmなのかを計算しています。

この手法を簡単に説明すると

1)ある地点Aから北極星の高度を測定する

2)江戸から北上あるいは南下し、別の地点Bで北極星の高度を測定する

3)AとBの2地点の距離を測定する

(AB間の距離)÷{(A高度-B高度)の絶対値}

この計算式から緯度1°の長さを求めることが可能です。1°の長ささえ求められたら、あとは360倍することにより地球一周の距離を導き出せるという仕組みです。

裏話をすると、元々はA地点が江戸の中心、B地点を現在の江東区深川にて計測しましたが、実は2地点間の距離が近すぎると正確な数値を導きだすことができません。そのため江戸から徒歩で移動可能、且つ江戸から離れている地点を模索する中で、蝦夷(えぞ、現在の北海道)が理想的であるという考えに至ります。

大きな問題としては、現代とは異なり蝦夷に行くためには何かしらの理由が必要でした。そこで正確な日本地図を作成するという名目で、幕府から蝦夷へ行く許可をもらったというわけです。

忠敬は、日本地図を作るより「地球の大きさを測る」という野心を持っていました。結果として日本地図作成の業績が高く評価され、地球一周の長さを計測した実績は大きくは知れ渡らなかったようです。

話は戻りますが、江戸と蝦夷の距離から求められた緯度1°の長さは、111kmでした。

111km×360=39,960㎞

これが忠敬が求めた地球一周の長さです。地球は完全な球体ではないため完璧な数値を導き出すことは困難ですが、実際の数値とほとんど誤差はありませんでした。

地球一周4万キロは徒歩で4,938日かかる

もう少し詳しく見てみましょう。1歩で進む距離は歩くスピードや身長によって異なります。一般的な徒歩のスピードを想定した場合、「身長×0.45」で1歩当たりの距離を求めることが可能です。たとえば私の身長は大体180㎝なので、1歩あたり進む距離は81㎝。人は1日に平均7,500歩を歩きますが、旅ともなればもう少しプラスα加えられるでしょう。1万歩と仮定してみます。つまり8.1㎞が1日に進める距離です。

先ほどの地球一周の長さを8.1kmで割ると、何日間で世界一周できるのかが求められます。

その答えは、4,938日

歩き続けると、人は約5,000日を費やせば、つまり約14年間あれば、地球一周できてしまうようです。

つまりエラトステネスと伊能忠敬が求めた約40,000㎞は、2億7,400歩で歩くことができる、ということが分かりました。

コロナ禍で変貌した旅の形

2020年、コロナウイルスが蔓延する中で世界は急速に変化していきました。世界は多様な現代に同調するように形を変えていきます。

私の中で、特にインパクトが大きかったものは、「インターネットの利便性を有効活用してオンライン上で旅行が完結する時代」が始まったことです。つまり、パスポートやビザを持たずとも世界旅行ができるようになりました。多額の旅費を払わず、かつ飛行機に乗らず、たった数千円程度を支払えば、その日のうちにヨーロッパの国々を観光することすら可能です。

スマホだけで旅ができる時代

私もアムステルダム(オランダ)のオンラインツアーに参加をしてみました。オランダといえば自転車大国として有名です。ガイドが自転車に乗りながらアムステルダムの観光地を案内してくれました。本当の旅行をしたような気分に浸ることができ、十分な満足感が得られます。

<アムステルダム>

海外旅行を嫌う人の多くは、海外での生活に不便さを感じています。私の主観ですがその根拠は、言語、治安・情勢、パスポート等の盗難紛失、衛生、費用面に関連付け回答する人が多い気がします。

オンラインツアーでは、母国語以外のコミュニケーションに不安を感じれば、Google翻訳機能を駆使することにより、リアルな会話を実現できます。もちろん治安や情勢に対する不安も皆無です。モノを紛失することもトイレの衛生面を気にする必要も一切ありません。費用は前述したように10,000円以下が相場です。

つまりこのような旅の形は、海外を旅するハードルを極端に下げてくれました。どんな人も世界へ連れ出してくれる点はとても秀逸だと思うし、多くの人が異国に触れられるよい機会だと思います。

しかしその反面、危惧することもあります。

「スマホ一つでどんなことでもできる世の中に慣れないでほしい」

世の中はとても便利になりました。大抵のことはスマホ一つでどうにかなります。これらは簡単にそして、数多くの情報をもたらしてくれる反面「感動を享受する体験」を奪います。デジタルネイティブな私たちは、便利な世の中に追随し過ぎず、時には一歩離れて身を持った体験学習をすることが大事だと感じています。

自分自身の足を使って、異国の地面の硬さを知り、森の香りを感じ、時には大都市で街の喧騒に揉まれ、そしてエキゾチックな料理を頬張る、私はこの瞬間がたまらなく好きです。

私が旅を通して感動をする時はいつでも、自分自身の五感をフルに使っています。オンライン上で世界遺産を追うよりも、自分の足を使って異国を感じることがやはり旅の本質ではないでしょうか。

150日間で2,400㎞を歩き続けた松尾芭蕉

江戸時代にそんな旅をした人物というと、松尾芭蕉が思い当たります。伊賀の忍者とも言われた芭蕉ですが、彼は驚異的なスピードで奥羽・北陸をめぐります。江戸を出発し約2,400kmもの距離を、俳句を読みながら150日間歩き続けました。1日に換算すると約16km。ちなみに芭蕉が江戸を旅立った1689年当時、彼は46才でした。

<松尾芭蕉ゆかりの地、立石寺(山形県)>

旅は言葉を紡ぐものだと思っています。五感を使い、情景を目にすることで初めて言葉が生まれます。

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也

月日というものは永遠の旅人のようなもので、やって来ては去り、去ってはやって来る年月も同様に旅人である。

松尾芭蕉が詠んだ句は、当地の雰囲気を感じなければきっと体現されなかったでしょう。オンライン上では「おくのほそ道」のような豊かな句は生まれません。また身体能力という側面に目を向けると、1689年と現代の時代背景は異なりますが、現代人の多くは芭蕉と同じ速度で歩き続けることは不可能に近いと思います。

近代化に伴い輸送手段は大きく発達しました。私たちから「徒歩」の機会はどんどんと減り、身体能力自体も低下しているように感じます。

「地球一周」は、あなたはを魅了しますか?

<ピースボート地球一周の船旅の出航>

私は23歳当時、地球一周に旅立ちました。様々な方法があるなか、船旅を選択しています。その一番の理由としては「移動すらも旅になる」からです。今までは空路での旅行がベーシックでしたが、飛行機は目的地の空港に到着するまで、なかなか旅を実感することができず勿体なさを感じてしまいます。

しかし船旅は、7つの海を渡りながら国境(領海)を超える瞬間まで、地球を全身で体感することができます。この旅の雰囲気が私にはピッタリでした。

<地球を感じられる地球一周の船旅>

地球一周と聞くと果てしない冒険のようなロマンを感じられるかもしれません。はたまた、魅力を感じない人も多いでしょう。私の主観ですが、日本では圧倒数が後者だと思います。きっと魅力には感じているけれど「自分には無理だ、不可能だ」と、その夢を諦めているだけではないでしょうか。

「世界最強」と言われる日本のパスポート

外務省の旅券(パスポート)統計によると、2020年末時点における有効旅券総数は27,713,950冊。2021年2月1日時点の日本の総人口は1億2,562万人。つまり日本国民の4.5人に1人しか旅券を所持していません。日本は、先進国の中でも最低水準で海外への関心が低い国とも捉えることができます。

またイギリスのコンサルティング会社「ヘンリー&パートナーズ」が、事前にビザを取得せずに海外へ渡航可能な旅券を全世界でランキング化しました。2020年版では、日本はビザを取得せずに世界191カ国を旅することができ、堂々の世界1位に輝いています。

ここから私は強く思うことがあります。

世界に誇ることができるパスポート!この利点に多くの人が気づいていない?

過度な貧困地域や内戦が勃発している国々と比較をすると、やはりこの国は豊かです。お腹が空いたらコンビニに行けば温かい料理が手に入ります。街中は清潔で安全です。好きな職種を選び、労働に見合った賃金を受け取ることができます。

旅をしたければ191ヵ国に簡易的な手続きのみで渡航可能です。

これらは世界規模で考えた時、すべて当たり前ではありません。この事実を再認識してほしいと願っています。

地球を旅することで見える世界

宇多田ヒカルさんの曲の中にこのようなフレーズがあります

誰かの願いが叶うころ
あの子が泣いているよ
みんなの願いは
同時には叶わない

世界を旅しなければ、この歌が表す意味を鮮明に捉えることはできないと思います。

私が世界中で見てきた光景は、明るさだけではありませんでした。米国から経済封鎖を受けるベネズエラは、貨幣の価値が0%にも等しい「ハイパーインフレーション」に陥っています。昨今の教育改革が功を奏し、一部の市民には十分な教育や生活の仕組みが整えられている一方、バリオと呼ばれる貧困地区に住むことを余儀なくされた人たちが大勢います。

<バリオ>

マレーシアでは「ロヒンギャ難民」の子どもたちを支援する教育施設を訪れました。ここにいたミャンマーから避難してきた10歳の少女との出会いが、強く私の胸に残っています。ロヒンギャ難民はミャンマー西部に暮らすイスラム系の少数民族です。国籍を持たず1990年代から差別と迫害を受けることになり国外に避難をする動きが活発化します。

バングラデシュやマレーシアに徒歩や船を用いて避難しますが、その途中で家族と離ればなれになったり命を落とす人もいます。海を渡る場合は目的地に到着するまでにモンスーンの影響で海が荒れ、子どもを含む多くの犠牲者がでたり、食料が底をつき餓死する人もいるようです。

私たちの多くが不自由のない生活を送ることができる一方、平和を願い世界のどこかで涙を流している人が必ずいます。

さいごに

<ベネズエラのエンジェルホール>

今回は「徒歩で地球一周」をテーマに取り上げてみました。

もちろん徒歩で世界を巡るには大きなリスクが伴うので、他の選択肢にも目を向けてください。まずは世界に行くことが、より身近に感じることができたら幸いです。

世界は想像よりも何倍も大きくて、壮大な夢を持っていますよ。私たちは「勇気」さえ持つことができたら、いつだって世界に繰り出すことができます。そのような「特別なようで特別でない切符」を持っていることを忘れないでくださいね。

いまコロナウイルスの影響で目標を見失った人も数多くいらっしゃると思います。でも世界がこれからどのようになるのかは、きっと誰にも分かりません。そうであれば、この未曾有の事態から抜け出せたとき、自分が笑っていられる未来にだけ目を向けてください。その方がきっと楽しいと思います。

スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式で語った言葉で締めたいと思います。

「私は17歳のときに『毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる』という言葉にどこかで出合いました。

あなた方の時間は限られています。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。ほかのことは二の次で構いません」

<フィンランドのオーロラに包まれて>

 

ピースボートスタッフ 野々村 修平