旅は続くよどこまでもー過去乗船者の旅STORYー Vol.2 林雄

「旅は続くよどこまでもー過去乗船者の旅STORYー」と題して、過去に地球一周の船旅へ参加したピースボートセンターおおさかゆかりの方をご紹介します。地球一周の船旅へなぜ参加しようと思ったのか?実際旅をしてみてどうだったか?そして今何してるの?と旅のストーリーから現在に至るまでをインタビュー!

INTERVIEW Vol.2 林雄(HAYASHI Yu)

高校卒業後18歳のときに2016年8月出航の第92回ピースボート地球一周の船旅に参加。その後ピースボートの職員となり、地球3周半を巡る。「 僕にとって”豊かさ”とは選択肢の多さにあると思うんです」と語る雄さんが経験した地球3周半で見えてきたものにせまります。

初海外で地球一周。「未知との遭遇」を求めて

―さっそくですが、地球一周に行こうと思ったきっかけを教えてください。

小学校1年生からずっとサッカーをやっていて、プロサッカー選手を目指す夢がありましたが高校3年になって進路を考えた時に、その選択肢を諦めてしまいました。大学に行って特に学びたい事もなかったので、どうしようか考えた時に「広い世界を見てみたい。海外に行ってみたい!」と急に思い立ちました。ピースボートは高校のサッカー部の先輩が以前乗船したと聞いていたので、「そうだ!ピースボートで世界一周してみたい!」と思い立ってピースボートに問い合わせたのがキッカケです。

―なぜピースボートを選んだのですか?
「地球一周」というインパクトに惹かれました。そしてただ旅をするだけではなく、地雷除去のプロジェクトや訪れた国に支援物資を届けたりといった国際協力活動にも興味がありました。

―どんな旅をしようと思っていましたか?
海外に行った事がなかったですし、雑誌やテレビでしか見たことのない世界を見れることが楽しみでした。 画面の向こう、現地でしか感じることのできないモノをこのカラダで思いっきり感じたいと思っていました。 見た事のないモノを見たり、食べた事のないモノを食べたり、出会った事のない人と出会ったり。とにかく「未知との遭遇」に魅了される旅がしたいなと思っていました。

ボランティアスタッフから旅がスタート

高校卒業後すぐの乗船で旅の貯金もイチからのスタートだった雄さん。ピースボートセンターおおさか(ピーセンおおさか)に通ってボランティアスタッフとして活動を始め、ムードメーカーとして大活躍!

ボランティアスタッフ制度とは?

居酒屋など街でよく見かける地球一周の船旅ポスターは、クルーズ乗船予定のボランティアスタッフが貼っている。他にも事務作業、カンボジアの地雷除去のための街頭募金などがあり⾃分の興味関⼼や⽣活スタイルに合ったものを選択可能。関わったボランティアスタッフの活動分だけ船賃の割引が受けられる。この制度により、お金に余裕のない若者でも乗船しやすくなっている。

―ボランティアスタッフはどのくらいの期間、どんなペースで活動していましたか?
高校生の頃は学校や部活終わりにたまにセンターに立ち寄っていました。卒業してからはほぼ毎日通っていたので、約3ヶ月ほどでポスターの割引は全額貯まりました!

―ボランティアスタッフをしてよかったと思うことや得たことはありますか?
年齢もバックグラウンドも違う人たちがピースボートセンターに集まるので、自分の知らないコトを知れる楽しさがありましたし、当時18歳だったのでセンターに通っている人はほとんど年上の人たちばかりでした。とにかく色んなことを教えてもらいました。

また、ポスターは関西圏を中心に貼るのですがポスター貼りを通して色んな街を知れたり、その街の人のあたたかさに触れる事ができました。ボランティアスタッフを通じて人との出会いが面白いと感じ、一人よりもより沢山の人と地球一周がしたいと思うようになりました。

最高の1枚!笑顔とノスタルジアの国キューバ

―訪れた寄港地でおすすめしたい場所は?
どの国も思い出が詰まっているので、その中で一つ選ぶのは本当に難しいんですけど、印象に残っていて皆さんにもイチオシなのはキューバです! なぜキューバを選んだかと言うと、アメリカとの国交が長年断絶されていた影響で、街並みも走っている車も昔のままで、色鮮やかなクラシックカーが街中で走っていてその景色にすごく興奮しました。

川沿いでサルサを踊る人達がいたり、葉巻を吸うワイルドなおばあちゃんがいたり、自分が憧れていた通りのキューバがそこにはありました。 そしてとにかく人がエネルギッシュで優しいんです!2日間いたんですが、関わった人全員がとても親切で僕のキューバの旅を彩ってくれました

ボランティアスタッフを経験したからこそ出会えたカンボジアの人々

―地球一周前には、地雷廃絶キャンペーンP-MACがおこなっているカンボジアの地雷除去のための募金活動に参加しましたね。
募金活動をしてる時は、カンボジアにまだ行ったことがないけど 離れた場所で起こっている問題に対して自分がなにかできるコトが無いか、募金活動やその他にも小さな事でも自分が出来るコトをやろうという一心で取り組んでいました。 そして募金活動を続けていくうちに、この募金活動で地雷のない安全な土地に建設される学校を自分の目で見たいなと思い、カンボジアの地雷問題検証ツアーに行くことを決めたんです。

自分の目でいざその学校を見た時、とても言葉では表すことが出来ないくらいに感動しました。 子ども達が歓迎してくれたんですが、その子ども達の笑顔を見ると、 自分達が日本で地道に活動してきたことがカタチになったんだ。やってきたことは間違ってなかったんだなって思いました。 そして自分が幼い頃から何不自由なく教育を受けてこられたのは当たり前ではなかったのだと強く思いました。

ピースボート地雷廃絶キャンペーンP-MACの地雷除去支援についてはこちらもチェック

自分スタイルの旅を追及しよう

―船内生活はどんな風に過ごしていましたか?
船内では地球大学というプログラムを取っていたので、その授業に出たり、スポーツデッキでサッカーしたり、海を見たり、様々な企画に参加したり…とにかく充実していました!

―地球一周をおもいきり楽しむ林雄流のコツ、教えてください。
コツは自分なりの地球一周をする事。 僕は寄港地でも船内でもやりたい事が沢山あったのと「せっかく船に乗ったんだから〜をしなければ!」と強く思っていました。「せっかく◯◯だから」「◯◯なのにもったいない」という思考がいつしか自分に対してのプレッシャーになっていたというか、できなかった時にすごくストレスに感じてしまい、だんだん苦しくなってしまったんです。

もちろん、せっかくこの国に来たからこれを食べたい!とか、ここに行きたい!という気持ちはとっても大事です!その為に地球一周に来てるんですから。 でも絶対にこれをやらないといけないことはありません。あれもしなきゃ、これもしなきゃと縛られすぎずに、自分のペースで本当にやりたいと心惹かれたことをやる、そんな自分なりの旅を楽しんでください。 目の前にあるものに丁寧に向き合って次に進んでいく事で色濃い旅になっていくはずです。自分にしかできない旅っていうのは必ずあると思います。

スタッフとして関わるピースボートー見えてきた大切にしたいものー

下船後すぐにピースボートスタッフになった雄さん。東京で勤務しながら96回クルーズ、98回クルーズ、そして102回クルーズへ運営スタッフとして乗船。世界を旅しながら自身の人生観にも大きな影響を与えたという「出会い」とは?

―ピースボートスタッフになった理由は?
すごくシンプルで、自分が行ってよかったと思う旅を沢山の人に経験して欲しい。それだけっちゃそれだけです。 あとは地雷除去や支援物資を届けるプロジェクトにもっと関わって、世界平和に強くアプローチしていきたいなと思ったのでスタッフになろうと決めました!

―参加者・スタッフとして船に関わってみて、改めてピースボートのおもしろさってどんなところにあるとおもいますか?
ズバリ「出会うはずの無かった人たちが出会い、交わる事」ですね。ピースボートに関わることで僕は本気で平和を目指す人たちに出会えました。その出会いがきっかけで今までどうでもよかった社会問題に向き合うことができ、今後生きていく上で大切にしたいコトに気づいたり、そのために自分はどうすべきなのかを真剣に考えました。今の自分の行動にも密接につながっています。なにより小さな島国を飛び出して、今まで見たことのなかった世界を見ること。食べたことの無かったものを食べること。ありとあらゆる画面越しの世界に飛び出し、匂い、雰囲気、その土地のエネルギーを感じること。この感覚に魅了されました。ピースボートのおもしろさはこういった未知との遭遇にあると思います。

―スタッフを辞めて次のステップへ進んだきっかけは?
スタッフとして地球一周している中でケイマン諸島というカリブ海に浮かぶ島に訪れました。 そこで、あり得ないくらい透き通った美しいな海を見て、ふと「この海が無くなってはいけないんじゃないのか…」と思いました。

この海を見た時の感動の瞬間は、今も、そして自分が産まれてくる前に去っていったありとあらゆる生命が繋いでくれているモノだとしたら、僕もこの感動の瞬間を後世に繋いでいきたい。そう思い環境問題に興味を持ち、ピースボートを辞めて環境問題に対してダイレクトに取り組んでいく仕事をしようと決心しました。

―スタッフとして関わる中で印象的なエピソードはありますか?
僕は98回クルーズに水先案内人(洋上のゲスト)担当として乗船していたんですが、 その時に水先案内人として乗船された結城幸司さんの講座を聞く機会がありました。 結城幸司さんは現代に生きるアイヌとして、版画、ロック、語りなど、様々な形でアイヌ文化を表現する活動を続けているアイヌアートプロジェクトの代表です。

その講座の中で結城さん が仰っていた「地球に優しく、じゃなく地球が優しいんだよ」 という言葉が凄く僕の中に響いて、今でも環境問題に対して取り組む上でこのひとことが僕の背中を押してくれています。 地球誕生46億年のの歴史を一年に表すと、ホモサピエンスの誕生は大みそかの23時37分と言われています。なんと紅白歌合戦が終わる頃の時間です。そして文明の誕生は23時59分頃。つまり近代の人類の歴史は1分にも満たないのです。

そんな人間がポイ捨てや使い捨てプラスチックの大量生産、他にも地球環境に負荷がかかる事をさまざま行っていることで、山や川、海をはじめこの地球に存在する温かくて優しい自然がどんどん失われていっています。 その中で地球に優しい選択をする事はもちろん大切なんですが 、大前提として「地球が優しい」と考え、共存していくために地球と人間、動物や植物、ありとあらゆる生命にとって最善の選択をしていきたいなと思っています。

冒険のソノサキー地球にもカラダにもやさしい生き方

これまで大阪で生まれ育ち、東京で勤務と生活の拠点はずっと都会だった雄さん。次の仕事をはじめる前にまずは自身が守っていきたいと強く思った大自然に囲まれた生活を体験してみたいと考え、東洋のガラパゴスとも形容される小笠原諸島の父島に4ヶ月ほど滞在。滞在中に今後どんな形で環境問題に取り組んでいきたいのか模索して進んだ道とは?

―今は何をしていますか?
環境問題に取り組む仕事をしたいと思っていたんですが、昔からいつか自分のお店を持ちたいというロマンもありました。環境問題とお店を持つ、この2つをかけ合わせた時に、環境問題にアプローチした地球に優しい飲食店を出したいなと思いました。

環境問題に一番負荷を与えていると言われているのが畜産業による環境負荷です。できるだけ動物性のモノを使わない料理を勉強するため、現在は京都の「mumokuteki cafe」というヴィーガン料理店で働いています。 そして毎週1回は大阪の住之江区にある「ハイタッチ」と言うカフェで週替わりのパスタを出しています。僕は金曜日のシェフとして「PONTE」を運営しています。


ダブルシェアキッチン型のユニークなカフェ「ハイタッチ」の仕組みとは?

ハイタッチの仕組みは曜日ごとに入れ替わる「独立を目指すシェフ」と「ハイタッチのcrew」が共にドリンクやフードを提供し1つの空間を作り上げる営業スタイル。コーヒースタンドを1つ、キッチンを2つ併設した「ダブルシェアキッチン」となっており、お昼はひとつをハイタッチ、もう一つは日替わりシェフが担当。ドリンクはスペシャルティーコーヒーとオーガニックティーを中心に展開。夜は、レンタルスペースとしてイベントの開催を行ったりしている。

PONTEのPRを自由にどうぞ!
毎週金曜日、11:00〜15:00で住之江公園駅すぐにある「ハイタッチ」というお店で僕が考案した地球にもカラダにも優しいパスタを提供しています! パスタの麺やオリーブオイルはもちろん、旬の野菜を出来るだけオーガニックのモノで提供しているので是非お越しください!

―今後の展望や目論んでいることはありますか?
3年後くらいには、できるだけ動物性のモノを使わずに、オーガニックの食材を使った飲食店を開きたいなと思っています!

―最後に、これから地球一周に行こうと思っている人や、迷っている人に一言お願いします。
とにかく地球には自分が知らない世界が広がっています。僕はその知らない世界を少しでも知ったことで、今まで持っていた価値観がいい意味でぶち壊されました。 そしてあの時の旅が今の自分に、人生に繋がっています。生き方や考え方が広がりました。

僕にとって「豊かさ」とは選択肢の多さにあると思うんです。 行くか行かないか、迷っているということはその選択肢があるという事。 そして行くことができると言う事実。 行くために越えなければいけないハードルは沢山ありますが、ピースボートに来れば一人じゃないです。相談に乗ってくれるスタッフが沢山います。 皆で一緒にハードルを乗り越えて、知らない世界を見に行って、全身で感じてきて欲しいです。 

さいごに「環境問題に対して取り組む上で一番強みと思っていることは、地球にある美しい尊い景色を見てきたことだと思う」と話してくれた雄さん。五感で感じたことを大切に、自分の気持ちに正直に生きる雄さんの姿が印象的です。これからの活躍に期待しています!

編集:ピースボートスタッフ 富岡あゆみ