「 決断の先に素敵な出会いが待っている」 辰己雅章

ピースボートセンターおおさか(ピーセンおおさか)ではたらくスタッフを紹介します。今回は、子ども大好きな元保育士の辰己雅章です。

辰己雅章 Tatsumi Masaaki(通称:たっちょん)

兵庫県出身。

たっちょんの趣味はフットサル、特技はピアノが(少し)弾けること、マイブームは安くて美味しいお店探し。

好きな言葉は「世の人は我を何とも言わば言え 我なす事は我のみぞ知る」。坂本龍馬が遺した言葉で、「一つの行動が正しいか間違いか、良いか悪いかという判断ほど、人により、また時代によってくるくると入れ替わるものはない」ということ。たっちょんにとって、自分らしく生きようと勇気をもらえる言葉だそうです。

ピースボートでは、問い合わせをいただいた方や過去に乗船した方に、日々電話対応をしています。

子どもが好きだから夢だった保育士に

18歳のときに社会人として最初に描いた夢は保育士でした。教育実習を通して子どもと関わることや子どもから信頼されることに喜びとやり甲斐を感じ、将来の目標が決まりました。しかし20歳で勤めた保育園では、自分の力不足は前提にありますが、一緒に仕事をした人との馬が合わず虐められる日々が続き、1年で辞めることになります。

しかし子どもが好きだったし、まだ自分の夢を諦めたくない!と思い、半年間のブランクを空けて保育士に復帰しました。そして復帰して間もない2010年の秋のことでした。友人と飲みに行ったときに居酒屋のトイレで偶然ピースボートのポスターを見つけました。

「なんだこれは⁉地球一周の船旅!?ちょっと怪しいが……。でもめっちゃ面白そう!!」
「しかし先月に再就職をしてしまった。今辞めたらまた入ってすぐに辞めることになるし、もう少し早くこれを知っていたら……。タイミングが悪かったなぁ」

と思い、そこまで具体的に考えることなく保育士の仕事に打ち込むことにします。頭の片隅にいつか機会があれば行きたいと思いながら。

6年間持ち続けた思い

初めてピースボートの存在を知ってから6年ちょっとの月日が流れた2016年秋。27歳のときでした。保育士として多少の経験を積むことができた上、ピースボートに行けるだけの貯金はできていたので、封印していたピースボートに対して少しずつ少しずつ、こんなことを思うようになります。

「今なら行けるんじゃないか?今しか行けないんじゃないか?」
「6年間もココロの中で行きたいと思っていたことを実行しなければ、後で大変な後悔をするんじゃないか?」
「色んな世界を自分の目で見たいなぁ」

この気持ちが段々膨れ上がっていきました。

楽しく働けていたので保育士の仕事を辞めることがネックでしたが、それ以上の経験を得てやる!という決意の元、2017年の春に乗船することを決めました。職場は休職という形で送り出してくれました。言ってみるもんだなとつくづく感じました。優しい職場に今でも感謝しています。

ピースボートだからできる特別なツアー体験

<バミューダ諸島の海>

せっかく行くんだから色んな世界のことを知りたいと思い、ピースボートならではの見聞、検証ツアーを全部取りました。「カンボジア地雷問題検証ツアー」「負の世界遺産 アウシュヴィッツ強制収容所へ」 「ドイツ国際平和村を訪れる」の3つです。この機会を逃したら一生行くことはないだろう、個人旅行では経験できなさそうなツアーです。

「カンボジア地雷問題検証ツアー」

<地雷除去隊員といっしょに>

カンボジアに訪れたときは初日のナイトマーケットの煌びやかさに度肝を抜かれました。その日は屋台でビールを飲んだり、買い物を目一杯楽しみました。しかし、翌日はカンボジアの歴史や今抱えている問題について考えさせられます。

1970年代のポルポト政権により多くの人が虐殺された現場であるキリングフィールドを訪問しました。仲間や親を失うだけでなく、命令されて人を殺す。自分が殺さないと殺されてしまう。知識のある先生や学者は政府の方針により皆殺し。メガネをかけている、本を読んでいるだけで殺される。日本で平和に暮らしている僕からしたら、いきなり政府の命令で命を奪われるなんて、そんな無茶苦茶なことってあるのか?と衝撃を受けました。

地雷除去の現場では、隊員の方が話してくれました。「カンボジアは農業が主な仕事。安全な場所を作らないといけない。我々がしないことにはカンボジアは良くならない。農業を安全にできるようになり、人々が幸せになることが我々の喜びです」
毎日、自身が地雷を踏むかもしれないリスクと猛烈な暑さの中で頑張る除去隊員の姿が忘れられません。

<スナハイ村の子どもたちと交流>

また、ガタガタな山道をトラックで20〜30分ほど走って、ピースボートが地雷除去を支援したスナハイ村の小学校を訪問しました。気温は35度を超えており、水は安全とは言えない井戸水を飲み……、それでも250人の6~15歳の生徒が3つの教室で勉強ができることを心から喜んで授業を受けていました。その小学校の校長先生は20歳でした。

ガイドをしてくれたボラさんは、「今のカンボジアは50〜80年前の日本と同じくらいです。できれば、子ども達に日本のような優秀な教育を受けさせ、安全な水を飲ませてあげたいです」と話していました。

暑い中、子ども達と一緒にサッカーをしたのが忘れられない思い出です。

「負の世界遺産 アウシュヴィッツ強制収容所へ」

<犠牲になった人々が残した写真の前で、ガイドの中谷さんのお話を聞く>

カンボジアで命を奪われる歴史や地雷の被害に実際に遭うことの非日常さを感じた上に、更に衝撃を受ける歴史を知ります。第二次世界大戦の時、ナチスドイツはユダヤ人絶滅計画を打ち出し、ポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所にて毒ガスで皆殺しにします。子ども達だって、労働の役に立たないと容赦なく殺されました。アウシュビッツの日本人ガイドの中谷さんは言いました。

「殺した人間の金歯は再利用しよう。殺した人間の髪の毛を使って絨毯を作れば良いじゃないか。こんなことまで考える。相手が敵だと見なすことでどんどん歯止めが効かなくなる」

「ナチスドイツだけでこうなったんではない。日本でも今後、同じことが起きる可能性だってある。オリンピックでも自国の人を応援する。本能的に家族が可愛い。でもそんな中でこういう事態が起きたときに自分の意見を言えるのか?自分はノー!と言えるのか?きちんと自分の意志を持って生きて欲しい」

大量虐殺が当たり前に行われていた時代を知ることで、周りに流されることはどういうことなのか?平和とは何なのか?自分にとって当たり前って何?と考えさせられる旅になりました。

<生還者のスタウボーダルチックさんと>

最後の夜に、アウシュヴィッツからの生還者であるスタウボーダルチックさんの話を聞きました。その中で忘れられない言葉があります。「人は多くのものを求めるのではなく、身近な人を大切にして生きるべきです」と仰っていたのが忘れられません。若い頃にアウシュヴィッツで地獄を見て、その後60年の人生を歩んできた方の言葉の重みを感じました。

「ドイツ国際平和村を訪れる」

 

<ドイツ国際平和村を訪れるツアーに参加した仲間と>

世界の紛争で傷ついた子ども達の中でヨーロッパで治療したら治る見込みのある子ども達を治療をしているドイツ国際平和村に行きました。アウシュヴィッツやカンボジアでは感じなかったことを感じました。まず、日本では考えられない怪我をしている子ども達が沢山いて、言葉は悪いですが「こういうことって今現在でも起きていることなんだ」と目の前の子ども達を見て頭の中でそう思ったのが正直な感想です。紛争って今起きていることなんだと実感しました。

それと覚えているのは、子ども達めっちゃ元気やな!ということ。施設を案内してもらっているとき、庭で遊んでいる子ども達の方から日本人の私たちを見つけて「こんにちはー!」と大声で叫んでくれました。

もう2度と歩けないと言われた子どもも走れるようにまで回復することもある。「生きたい」という気持ちが奇跡を生むと、日本人でドイツ国際平和村で働いているまきさんが仰っていました。

そして「ごく稀にドイツ国際平和村に来て容態が急変して亡くなる子どもがいます。そんな子どもを母国の親元に返したときに、お母さんから『精一杯頑張ってくれてありがとう』と言ってもらった。命を救えなかったにも関わらず。本当に責任を持って仕事をしないといけないと思った出来事だった」と話してくれました。

ドイツ国際平和村の数日前に訪れたアウシュビッツの悲しい雰囲気とは正反対。過去の歴史ではなく現在生きている子ども達のエネルギーが溢れていて、パワースポットのようでした。足を怪我して車椅子だったり、顔を火傷している子どももいましたが、元気いっぱいで暗い雰囲気は皆無で明るく、強い生命力を感じました。

<船内で報告会と募金活動>

そしてこの後、平和村を一緒に訪れたメンバーで船内へ戻ってから報告会を行い、クルーズ参加者の皆様から33万円もの募金を頂くことができました。募金に協力して頂いた方達の優しさに触れることができたこと、あのときの皆様の優しさをドイツ国際平和村に届けることができたことが素晴らしい思い出です。

世界中の国々と日本中にも大切な人ができるピースボートの船旅

<フランスのルーアンの街と素敵な老夫婦>

純粋に自分の目で世界を見てみる経験は良いものだと思います。色々な国の歴史を感じますし、その土地の歴史、そこで生活する人々の暮らしを見て、地球の裏側にも一生懸命働く人がいて家族がいて生活があることを実際に見ることができます。

言葉は通じませんがその国のその都市にはずっとそこで生きている人たちがいて、笑顔で過ごしている。有名な建物に行くことも記念にはなりますが、それ以上に1つ1つの国の生活の風景が心に刻まれるのです。

ピースボートは、1つの国で突き詰めて過ごすことができないのは欠点かもしれません。しかしその分、20か国以上の今現在の世界を見ることができます。

そして最後になりますが、そのクルーズでできた友達が宝物です。お金では手に入らない、地球一周を一緒にしたという深い共通点のある仲間達に出会いました。同世代だけでなく、10歳以上年下の友達ができましたし、未だに連絡を取り合って食事に行くおじちゃん、おばちゃんもいるのです。日本全国にまた会いたい、大切に思える知り合いができます。

ピースボートは出会いが最高!

 

文: 辰己雅章  編集:森田幸子