平和と音楽の船旅へ 「明子さんの被爆ピアノ」とともに

ピースボートは、音楽とともに平和のメッセージを各地に届けるためクラウドファンディングに挑戦中です。

こんにちは。ピースボートスタッフの森田です。今日はみなさんにピースボートがおこなっているプロジェクトのご紹介とご協力のお願いです。

この夏、ピースボートは日本一周クルーズを実施します。そのなかで、74年前の広島で原爆投下によって被爆した「明子さんの被爆ピアノ」を船に載せ、各地で演奏会をおこないます。なるべく多くの寄港地で演奏家をまねき、乗船者や地元の方々に参加していただいて、被爆ピアノの音色を届けたいと考えています。そのため、現在クラウドファンディングに挑戦中ですので、みなさまのご協力をよろしくおねがいします。

詳細はこちらからご覧ください。
「明子さんの被爆ピアノ」をアジア10の港で響かせたい!

「明子さんの被爆ピアノ」

<生まれたばかりの明子さんとピアノ>

「明子さんの被爆ピアノ」は、広島で19歳のときに被爆して亡くなった米国生まれの河本明子さんが愛用していたピアノです。1933年に両親と共に広島に渡った明子さんは、1945年8月6日に建物疎開の作業中に被爆し、翌7日に19歳で亡くなりました。

同時にピアノも爆風により多くのガラス破片で傷つき、しばらくのあいだそのままにされていました。そのピアノが後に修復され、2005年の被爆60周年のコンサートで演奏されました。

「パルチコフさんの被爆バイオリン」

「明子さんの被爆ピアノ」と一緒に「パルチコフさんの被爆バイオリン」も各地をめぐります。これは広島女学院で音楽教師として赴任したロシア人、セルゲイ・パルチコフさんが愛用していたものです。

パルチコフさんは、1893年ロシア生まれ。1922年にロシア革命を逃れ、日本に亡命し、広島の映画館でバイオリンを弾いていたところ、その才能を見込まれ26年から43年まで、広島女学院で音楽教師を務めました。原爆投下時、家族と広島に暮らしていて被爆しました。

日本一周そして韓国とロシアを回る東アジアの船旅で

ピースボートは、2017年のノーベル平和賞を受章した「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」の運営団体です。これまで、被爆者の方々とともに核廃絶のメッセージを世界に届ける活動を続けてきました。日本一周クルーズでは、8月6日と9日の原爆の日に、それぞれ広島、長崎をおとずれます。そして船が寄港する10カ所で演奏会をおこなうことで、核兵器廃絶へのメッセージを各地で届けます。

「明子さんの被爆ピアノ」「パルチコフさんの被爆バイオリン」に触れることで、多くの人々に被爆者の記憶を継承し、未来へ平和のメッセージをつなぐために自分に何ができるか考えてもらいたいと思います。そして、核兵器のない平和な世界のために行動をとることのできる人を増やしていきたいと考えています。

「明子さんの被爆ピアノ」をアジア10の港で響かせたい!

このプロジェクトの詳細や支援方法については下のリンクからご覧ください。
「明子さんの被爆ピアノ」をアジア10の港で響かせたい!


広島、長崎への原爆投下から今年で74年。原爆は多くの人々の命を奪い、被爆により今も人々を苦しめています。このような悲劇を繰り返してはいけないと切に思います。

あの日きのこ雲の下では何が起こっていたのか、核兵器の恐ろしさとはどんなものか……。74年が経ち、それを経験した方々は少なくなりました。私たちが直接、被爆者の方から話を聞くことは難しくなってきました。

「明子さんの被爆ピアノ」と「パルチコフさんの被爆バイオリン」はその音色を通して私たちに74年前の記憶を届けてくれます。多くの人々に核兵器について考えるきっかけを与えてくれるでしょう。音楽とともに平和のメッセージを各地に届けるこのプロジェクトを応援してください。

 

ピースボートスタッフ 森田幸子