「生きづらさを感じていた日本を飛び出したら私の世界が広がった」荒木梨央

ピースボートセンターおおさか(ピーセンおおさか)ではたらくスタッフを紹介します。今回は幕末系歴女の荒木梨央です。

荒木梨央 Araki Rio (通称:ステファニー)

兵庫県出身

ステファニーの趣味は読書、音楽鑑賞、映画鑑賞。最近は、本は綾辻行人さんと中村文則さん、音楽は米津玄師とあいみょん、映画はがっつり恋愛の映画以外がお気に入り。

ステファニーの好きな言葉は…
「自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きる方を選んだからといって、だれがシロクマを責めますか」(梨木香歩さんの小説「西の魔女が死んだ」のおばあちゃんのセリフより)

ピーセンおおさかでは、お問い合わせ窓口で地球一周を目指す方々のお悩み相談やクルーズ案内を担当しています。

私が知らない世界を見てみたい!

(アイスランドのグトルフォス(黄金の滝の意味)で。)

カンボジアの子どもたちとの出会い

高校卒業後にカンボジアへ貧しい村の小学校の子ども達に体育を教えるボランティアツアーに参加しました。扉の無い校舎、遊具も何もない校庭、ある男の子の家を訪ねるとそこには雨水を溜めた壺のお風呂、着古した服、隙間だらけの木で作られた壁……。正直そこでの生活は私には考えられないもので、初めて自分が恵まれた環境に居ることに気付きました。

それでもそこにいる子ども達はとても目が綺麗でした。現地ガイドの「貴方は今幸せですか?」という問いに、みんな考えるそぶりも見せず「幸せ!」と笑顔で叫んでいました。そしてそれは大人も同じで、子ども達のお父さんは家族が居るだけで幸せだと私達に話してくれました。そんなカンボジアで出会った人達に私はとても憧れました。

生きづらさを感じていた高校時代

実は人と接することが嫌いでした。簡単に他人を信用してはいけないと強く思っていて、極力人と関わらないよう学校でも本ばかり読んでいました。そうしていると益々人との接し方がわからなくなり、誰とも話したくないと学校をサボることも多かったです。

高校3年生になり進路を考えた時、人が大勢いる学校という場所にこれ以上居たくないという気持ちから大学に進学するのを辞めました。生まれつきの茶色い髪や目の色を学校の先生に指摘され続けることに疲れていたのもひとつの理由でした。

家族も居るし、家もあるし、食べ物も十分にある。それなのに私は人が嫌いで生きづらさを感じ、胸を張って幸せだとは到底言えなかったです。なのに高校卒業後に行ったカンボジアで出会ったあの人達はどうしてあんなにも幸せだとはっきり言えるのか私にはわかりませんでした。

世界中の人々に出会いたい

(ピーセンおおさかでボランティアスタッフ活動をして全クリ(船賃全額割引クリア)を達成した日に仲間が祝ってくれた。)

私には知らない世界がありすぎると思いました。もっと色んな世界を見てみたい。もっと世界中の人達と出会いたい。特に子ども達の姿が見たい。笑顔を見てみたい。でもきっと、世界には笑っていない人もいる。それも含めて、色んな人を見てみたい。

それならもう地球くらい一周しないとわからない!とカンボジアから帰国後、どうやって地球一周しようか調べていた時に見つけたのがピースボートです。地球一周出来るし世界各国の人達との交流も出来るしNGOとして誰かの助けにもなれるピースボートは私の目的にぴったりだと思いました。すぐに資料請求をして、説明会へ行きその場で船に乗ることを決めました。

平和への第一歩は知ること

アウシュビッツ強制収容所から学んだこと

(アウシュビッツのツアー参加者たちと船内で報告会を開催。)

地球一周中で一番心に残っているのはツアーでアウシュビッツ強制収容所(※)に行ったことです。教科書や映画の中で見た景色を自分の目で見た瞬間は鳥肌が立ちました。実際にホロコーストを経験し生き残った方のお話を聞くことも出来ました。人生で一度きりの貴重な経験になったと思います。そして収容所のガイドの方が言った「平和とは何なのでしょう」という言葉が印象的でした。

(※)アウシュビッツ強制収容所とは、第二次世界大戦時ヒトラー率いるナチスドイツが推進した人種差別による大量虐殺(ホロコースト)および強制労働を行った場所。

平和とは生まれた場所、育った環境によって違うことをそこで初めて思い知りました。私の考える平和は、どこか遠い国で生まれた誰かにとっては平和ではないかもしれません。アウシュビッツで起きた残虐な出来事は決して良いことではありませんが、それでもそうすることによって平和を手にしていた人もいるのです。

物事を一つの方向からしか見ないことはとても怖いことです。まずは何事も知ることが大事だと思いました。そして思いを伝えあい、お互いに妥協し理解しあうことが平和への一歩だと私は思います。

(ベネズエラで子どもたちと交流。人懐っこい子どもたちからプレゼントをいっぱいもらいました。)

他にも私は交流ツアーには全て参加していたので、世界各国でたくさんの人達と出会えました。ツアーに参加することで私が目的としていた色んな世界を知れました。世界中の光の部分も陰の部分も見ることが出来たと思います。

人生が豊かになった船旅

地球一周の船旅に参加したことで、私は少し明るくなったと思います。自分から人に話しかけることにもだいぶ慣れました。そしてもっともっと知らないことを知りたくなり、自ら進んで勉強をするようになりました。誰が見てもわかるような大きな変化はありませんが、私の中では確実にピースボートに乗って人生が豊かになりました。

ピーセンおおさかに通うことで人の優しさを知ることができた

(パナマでエンベラ族に会いに行き、初めて触れる文化ばかりで楽しかった!)

ボランティアスタッフの時、毎日ピーセンおおさかに通っていました。そこでの出会いは本当に一生大事にしたいものです。年下の私にもみんな対等に接してくれて、いつも地球一周への熱い想いを語り合い、私がポスターを貼りに行きたくないと泣いた日には「これ食べて明日からまた一緒に頑張ろう」と大好きなケーキをごちそうしてくれました。そんな仲間と支えてくれるスタッフがいなければ私は船に乗ることが出来なかったと思います。

(スリランカで孤児院に訪れるツアーに参加した時に遊んだ女の子と。ここにいる女の子たちはみんなオシャレさんでした。)

正直地球一周しなくても、ピーセンおおさかに通うことでもう私はたくさんの人と出会い、楽しいことも辛いことも嬉しいことも、たくさんの思い出が出来ていました。世界中での出会いばかり考えていましたが、私が見ていなかっただけでこんなに近くにも良い出会いはあるんだと知りました。優しく暖かい人達で溢れているピーセンは、人と接することが嫌いだった私にとって、人を好きになれた特別な場所です。

そして同じように、地球一周を目指すボランティアスタッフ達にとって、これからもピーセンは様々な形で特別な場所になるでしょう。そんな場所を、今度は私もスタッフとして支え、みんなと一緒に最高の時間を作っていきたいです。

みんなの地球一周の夢を叶える力になりたい!

(船上でおこなわれた大運動会では白組の副団長をしました。)

私は誰かの地球一周の夢を実現させるためにピースボートスタッフをやっています。単純な理由ですが、地球一周といってもその意味は人によって異なります。例えば人生を変えたい人、海外旅行を楽しみたい人、船に乗りたい人など、似ているものはあっても全く同じなんてありえません。1,000人いれば1,000通りの意味を持った地球一周があります。

物事の意味を付けるのは自分自身です。ピースボートでなくても地球一周は出来ますが、それでも意味を持ってピースボートを選んでくれた人達のために少しでも力になれればと思います。

 

文:荒木梨央  編集:森田幸子