みなさんこんにちは。ピースボートセンターおおさかの野々村修平です。
この度、12月上旬に出航するピースボート地球一周の船旅 Voyage116に乗船することが決まりました。
これまでの約4年間、ピースボートセンターおおさかでの勤務の中で激動の時間を過ごしてきました。
自分の中での記憶を風化させないことと、自分自身への振り返りとして何か文章を残したいと思います。
地球一周を目指すみなさんの居場所
背景は違えど、同じ地球一周という共通の目的を持った人たちが一度に集う場所がピースボートセンターです。
最初にこのセンターを訪れた人はみんな地球一周に興味を持っています。しかしながら、その目的を最後まで持ち続け現実にできる人は多くありません。
新しい目的を成し遂げるには、それに相当する何かを諦めなければならないと思っています。
約100日間のクルーズともなると簡単に休みを取ることはできません。会社員であれば仕事の転職のタイミングや学生であれば休学という選択肢が必要かもしれません。
旅行代金も安いわけでは決してありません。貯金がなければ、何かを諦め節約しなければなりません。
このような過程が面倒に思え、ネガティブな言い訳を多くの人がしてしまうことが現状です。
言い訳だけを羅列していては何も始まりません。できないことを可能にすることが私の仕事です。
どうやったら地球一周できるか、具体的なプランがなくても目的さえ定まっているのであれば、私がその人に一番あった方法を提案していきます。
その方向に向かって、ああでもない、こうでもないと一緒に試行錯誤しながら進んでいくんです。
そうして必要なものと不要なものを明確に決めていけば、あとは不要なものは捨てる勇気を持ってください。
今の自分を振り返り、不要なものを削ぎ落としていく。この確認と勇気を持つ循環が大切だと思っています。
地球一周は、強い目的意識を持ち、そして諦めなければ誰だって叶えることができます。
そして若いうちに地球を巡ることは、これから生きる人生の糧になります。
この根拠は言葉だけでの説明は難しいですが、「あいつがあんな事言っていたな」と私を信じてみてください。
そのようなみなさんの転換期に、貴重な人生の一部を使ってセンターに通ってもらうわけで、私は自分の身を削ってでもみんなと向き合い続けると心に決めています。
ピースボートセンターは、そういった新しいことを始めるチャレンジを誰も否定しない場所です。だから私はこの場所が本当に好きでした。
今年の新年にピースボートセンターおおさかの抱負をブログに書き示しましたが、改めてこのタイミングで振り返ってみます。
私の抱負は、“対面で人と出会い、言葉を交わすこと”でした。ブログにはこのように書きました。
対面で人と会うことの大切さと、そして人や体験と出合うために自分の足で移動することの本質を改めて見直しました。
人が思いきり迷い、悩み、うまく行かない時も、心の底から笑い合える瞬間も、この大切な一時を本年は皆さまとセンターで、そして洋上で共有させてください。
皆さまの人生の一端を少しでも彩ることができる、第二の家のようなアットホームなセンターの運営と企画の実施、出航までのサポートを今まで以上に心掛ける所存です。
どうだったでしょう?私はこの目標を胸に一年間、後ろを振り返らずに走り抜けてきました。
抱負を掲げた当初は、まだまだ制限だらけでお世辞にも人がたくさん出入りできるセンターではありませんでした。
しかしながら、今センターを見渡すとたくさんの人たちが、笑い、涙を流し、語らえる場所に戻ってきています。
最近とても嬉しかった言葉があります。「ピースボートセンターのスタッフがいてくれるからボランティアスタッフの活動ができるんだ」そう言ってくれたボランティアスタッフがいました。
当たり前のことかもしれませんが、私たちが向き合ってきたことがみなさんに伝わっているのであれば、これほど幸せなことはありません。
一旦私にできることはここまでになりますが、これからの更なるセンターの発展を次世代のメンバーに託していきたいと思っています。
ただ間違いないことは、今のピースボートセンターの雰囲気があれば、きっと自然と人が集まり、そしてみんなにとっての自分の居場所に変わっていくはずです。
ピースボートセンターおおさかの思い出
いくつかこの4年間の勤務の中での思い出を残させてください。
コロナ禍で船を出せなかった3年
1番この時が苦しかったかもしれません。
ボランティアスタッフとして活動をしてくれる人たちが一人一人乗船を断念していく。
私たちはみんなに船に乗ってもらうために、サポートをしているはずなのに、それが叶わない環境の中で不安が渦巻いていました。
振り返ると、コロナウイルスの蔓延初期、ピースボートセンターは閉局していました。人がいないデスクで、また感染予防の観点から会話も制限され、どんよりとした空気が漂っていました。
そして、センターの臨時閉局に伴いポスター貼りはスタッフ全員が総出で行っていました。
私自身もボランティアスタッフ割引を全額貯めて乗船をした1人ですが、流石にこの時のポスター貼りは気持ちが折れました。
そもそもお店に入ることすらできません。当初まだまだコロナに敏感なタイミングだったこともあり、若者と接していると感染するリスクが高いという理由で交渉の前段階である入店さえも叶いません。
従来100枚のポスターを貼れるエリアも結果10枚しかポスターを貼ることができずに帰ったこともありました。
また常に発熱に対して敏感になり、誰かが体調を崩してしまえば周囲も緊急的に隔離生活が余儀なくされます。そんな注意深く毎日を生活する気疲れは相当なものでした。
そんな中でも、私たちスタッフを気にかけサポートしてくれたボランティアスタッフのみなさんには心の底から感謝の気持ちでいっぱいです。
当時の苦しさも今となっては良い思い出です。そんな中で地球一周を志し、努力を続けてきたボランティアスタッフが今年続々と船に乗っています。
諦めることなく、自分の目標に向かって進んでこられたことが身を結んだのでしょう。
彼らはきっと帰国後に、それぞれのよりよい人生を歩む力強さを手に入れていると思います。
私にとって2023年のクルーズは、一人一人と向き合ってきたからこそ、そんな思い出を詰め込んだ記憶に残るクルーズになりました。
シェアハウス
遠方から来たボランティアスタッフには、シェアハウスを準備しています。私もこのシェアハウスに住んでいました。
一体この場所で何人の人と出会い対話してきたのでしょうか。ボランティアスタッフと生活を共にし、楽しいことも、大変なことも一緒に乗り越えてきました。
私はシェアハウスの管理者を長らく務めてきましたが、大切にしていることはシェアハウスの住人に家族として向き合うことです。
だからこそ抜かりなく、少しでもみなさんに住みたいと思ってもらうために住宅の環境を整え、雰囲気を変えてみたりといろんな試行錯誤を繰り返してきました。
またどれだけ物価が上がっても、お米の無料制度を貫きました。住人や訪ねてくれる人たちを大切にしたい想いから生まれています。
人の往来が激しい時は半月に一度のペースで30キロのお米を買い足していました。
みんなで家族会議を実施し大型のプロジェクターを購入し、シェアハウスの一角を映画館のように大改造したこともいい思い出です。
朝まで自然とひとが集い、語り合える場所がやはりシェアハウスの良さです。
夜の時間はなぜか、本音を話し合える場へと変わっていきます。こんな時間こそがみんなの記憶に深く残るのではないでしょうか。
今まで入居してくれたみなさん、そして遊びにきてくれたみなさん、そんなみなさんが来てくれたからこそシェアハウスは常に活気を絶やしませんでした。改めて感謝させてください
P-1グランプリ
約3ヶ月に一度開催される全国規模のポスター貼りの祭典です。全国のピースボートセンターで競い合います。
実は私がボランティアスタッフだった頃から宿敵のピースボートセンターなごやに打ち勝つことが野望でした。
全身全霊を込めて毎日ポスター貼りを行って、当時大阪ではトップの個人成績を収めましたが、ピースボートセンターおおさかはまさかの全国3位。
この時は驚愕しました。勝てるわけがない…。
そんな中で一度だけ大阪に軍配が上がったのが、2020年の夏のP-1グランプリでした。
ある1人のボランティアスタッフが根こそぎ各部門の一位を獲得し、見事にセンターの優勝を勝ち取りました。
当時のポスター担当であった田上くんと歓喜したことが記憶に新しいです。
本当に嬉しかった。ただただ、自分が成し得なかったものを、立場はスタッフに変わってしまったものの達成できたことが本当に嬉しかったです。
ポスター貼りキャラバン
キャラバンとはセンターの存在しない地方に出向き宿泊を伴いながらポスターを貼る、いわばポスター貼り合宿です。
私は合計30回程度のキャラバンに参加しました。本当に毎回、色々なハプニングがあり、笑えないことも多々ありましたが全部が思い出です。
自分が引率しなかったキャラバンのメンバーが帰ってきた時、仲良くなったメンバーを見ていると嫉妬の気持ちが芽生えます(笑)。キャラバンはそれだけ濃い時間を過ごすことができるんです。
私が初めてのキャラバン引率から貫いてきたことは、出発前にみんなにメッセージを残すことです。
その中の一つにポスター貼りでは重要なアイテムとなるバインダーのプレゼントをすることを欠かさず続けてきました。
キャラバンという非日常の体験が、みなさんの中でより記憶に残るために、いろんな仕掛け作りを考えることもまた楽しかったんだと思います。
クリスマス&大忘年会
実は個人的に一年の中で一番力を込めた企画でした。
日頃からお世話になっているボランティアスタッフのみなさんに、スタッフからのプレゼントとしてエンタメ企画を実施したい、そんなこんなで3年間企画してきました。
企画内容は当時流行している作品のパロディームービーを撮影することです。
制作期間は約1ヶ月間に及び、忙しい仕事の合間を縫って撮影に付き合ってくれたスタッフのみんなに感謝の念が堪えません。
あの撮影の時間は本当に大好きでした。
NGを出しながらも素人たちが全力で向き合うあの団結力は他では表現できません。
そのほかにも個人的なエンタメ企画としてすべらない話も恒例行事です。僕は十八番のトークテーマがありますが、一度もすべったことがありません(笑)。
いってらっしゃいパーティー
2023年は、春に出航したVoyage114、夏に出航したVoyage115、そして私も乗船するこの冬出航のVoyage116と、3度のいってらっしゃいパーティーを無事に終えることができました。
パーティーでは、現役のボランティアスタッフはもちろん、これから乗船するメンバー、そして一昔前に大活躍して地球一周したみなさんが集まれる場を作れたことが幸せでした。
そしてこの11月に実施した、いってらっしゃいパーティーでは、まさか自分が追い出される側になるとは思いもしませんでした。
当日みなさんにもお伝えしましたが、コロナ禍で苦楽を共有したボランティアスタッフやスタッフたちの出航を見送ることができ、センターを離れることに悔いはありません。
自分の中で身を削ってでも毎日みなさんと向き合って過ごしてきた日々は、どの記憶も最高なものばかりでした。
一枚一枚アルバムから写真を選んで、その時々の記憶を鮮明に思い出すことができます。
これからの新しい次世代に、僕の立場を引き継ぎ新しい風を吹かせてほしいと思います。
思い出にはキリがありませんがすべて忘れることがない宝物です。
いってきます
最後に二つ書き留めます。
色々書きましたが、私がボランティアスタッフだった時、自分の身を削って私に向き合ってくれたスタッフたちがいたから、私も同じことを繰り返しただけだと思っています。
特別なことは何もしていません。
恩返しという言葉がありますが、私は恩を受けたその人に恩を返さなくてもいいと思っています。ましてや恩を返される前提で多くの人はあなたを手助けしていません。
その代わりに、私は私の人生を支えてくれた人たちの恩を、これからを生きるみなさんに送り続けてきました。
だからもしピースボートセンターで恩を感じてくれた方がいたら、それは私たちに返さなくても大丈夫です。
みなさんが次の世代へバトンを繋げてください。そういう循環が、優しさに溢れる世界を作っていくと私は信じています。
「運命」は人に平等には訪れません。自分で掴み取りに行く人の元に訪れます。
自分で取りに行かない人は、行動もできません。
行動できない人は大切な人生のチャンスを逃します。
行動することはすべて自分の意思決定です。例え人に諭されて決断しても最終的な選択肢は自分にあります。
チャンスは生き物です。そして誰でも手に入れることができます。
その時行動に移さなかったら、誰かの手に渡っていくでしょう。
チャンスが訪れたとき、瞬発的に行動に移せる強い心を持っていると、もっと人生は楽しくなると思います。
人生には正解はありません。いつどんな時からでも私たちは変わることができます。それを見つけられる場所の一つが、ピースボートセンターおおさかです。
「やさしく、つよく、ほこらしく」みんなと過ごせた日々に感謝。いってきます。
ピースボートセンターおおさか 野々村修平