現在航行中の第94回地球一周クルーズに乗船中のピースボートスタッフ・大坪麗です。4月に日本を出発した船は、先日スエズ運河を通過してついに地中海へ。ギリシア・ピレウス港から、23名の参加者とともにポーランドにある負の世界遺産アウシュヴィッツ強制収容所を訪れました。

人が人を殺めることが、どうしてここまで容易にできてしまったのか。機械的に人が殺されていく。まるで工場と化した収容所を見学しながら、見てきたもの、感じたことを綴ります。

アウシュヴィッツ強制収容所とは…?

第二次世界大戦時、ナチスドイツによるユダヤ人絶滅政策で最大の犠牲者を出したポーランドにある強制収容所。一度収容されると生きて帰れないと恐れられたことから、その名を絶滅収容所とも呼ばれていました。

 

 

 

 

アウシュヴィッツ第1収容所

アウシュヴィッツ強制収容所は、第1、第2、第3収容所に分けられます。わたしたちは、第1と第2収容所を2日間、それぞれ3時間かけてまわりました。

アウシュヴィッツ第1収容所は、当時の面影を残しつつも、きちんと整備され、現在は博物館として公開されています。毎年ドイツを含め世界中からたくさんの人たちが見学に来ます。

わたしたちのツアーのガイドを務めるのは、この博物館で唯一の日本人ガイド、中谷剛さん。常に問いかけながら、過去と現代をつなぎながら、わたしたちに語りかけてくれました。

ここへ連れてこられた人々は、貨車から降り立ってすぐに生か死の選別を受けます。働けないと判断されたものは、そのまガス室へ。その先に待っていたのは「死」でした。

かつては収容棟だった建物に、連行された人々の遺品(カバンや靴)や当時の写真が展示されています。

息を飲むほどに大量の髪の毛(連行された人々から剃られたもの)が展示されている部屋もありました。私はあまりの量の多さに衝撃を受けましたが、それは、実際のごく一部にしかすぎないのです。連行された人がどれだけ多かったのかと想像すると恐ろしくなりました。

実際に使用されていたガス室にも入りました。数えきれない人々が生き絶えたその空間に立つと、心と体が何かを拒んでいる、そんな奇妙な感覚にとらわれました。今まで感じたその奇妙な感覚はきっと一生忘れないでしょう。

アウシュヴィッツ第2収容所ビルケナウ

整備された第1収容所とはうって変わって、広大な敷地の中に点在する施設をひた歩いた第2収容所(別名ビルケナウ収容所)。

中谷さんのガイドと展示品からの情報がたくさん頭に刻まれた第1収容所に比べ、感覚を研ぎ澄まして想像する、考える時間が多かったのがビルケナウです。

ヨーロッパ中から連れてこられた人々はまず降臨場に降り立ちます。そこは、生か死の「選別」を受けた場所でした。わたしたちは、死の選別を受けた人々が降臨場からガス室へ向かう道を同じように歩きました。

土地も財産も、持っているものすべてを奪われ、名前さえも失った。収容された人々は囚人番号で管理されていたのです。

ビルケナウには、名前のないたくさんの人の写真が展示されていました。彼らは、生きる選択肢を与えられなかった人たちです。彼らは、この世に確かに生を受けた名前のある誰かでした。もっと、もっと生きる権利のあった誰かでした。

生還者の声

ツアーの中で、アウシュヴィッツ生還者の声を聞く機会がありました。11歳のときにワルシャワ蜂起の影響でアウシュヴィッツ第2収容所(ビルケナウ)に連行され、奇跡的に生還された方の証言でした。

時折大きなため息をつきながら、それでも力強く、思い出したくもないであろう過去の記憶を少しずつ話してくださいました。連行されたときの様子、収容所での生活(彼女はビルケナウに収容されていました)、アウシュヴィッツ解放とその後。そしてなぜ彼女が証言を続けるのか。

生き残った自分には、生きられなかった人の分まで生きること、そして自らの経験を語ることが使命だと彼女は言います。

過去から現代へ

ガイドの中谷さんはわたしたちにこう言いました。

歴史を知らない者は、また同じ過ちを繰り返す。

アウシュヴィッツ訪問は、ただ過去の歴史を学ぶだけの場所ではありません。今もなお、社会に不適合だと思われる人々を排斥する動きが世界中で起こっています。

過去を知ったわたしたちには何ができるのか。世界の出来事に無関心でいることほど、恐ろしいことはありません。同じ過ちを繰り返さないために、わたしたちには見てきたこと、学んだことを伝える責任があります。

ツアーを終えた今、消化しきれない混沌とした思いを抱えながら、次のステージへと向かおうとしています。

 

peaceboat**Rei from 94th voyage