震災の記憶を紡ぎ、継承していく~大阪に残る津波の碑~

2011年3月11日 14時46分

まもなく東日本大震災から12年の歳月を迎える。震災関連死を含めた死者と行方不明者は2万2000人あまりにのぼり、今なお、避難生活を余儀なくされている方も多い。

大きな災害は突然発生し、そして平穏な生活を奪っていく。

しかしながら、被災地で震災を経験していない人々の心からは、時間の経過とともに記憶は風化していくものだと感じている。

かくいう私、野々村修平もその1人だろう。

東日本大震災当時、誰もが恐怖に苛まれた。しかし12年経ったいま、どこか昔話のように考えてしまっている自分がいる。

南海トラフや首都直下型地震など、近い将来に必ず起こると言われる大地震の予測報道はよく聞くものの、やはり自分の身には降りかかることはない、とどこか安堵してしまっているような自分を隠すことができない。

そのような自分を戒め、迎える3月11日は風化しつつある自分の記憶と向き合い、その気持ちを綴り、そして被害に合われた方々に黙祷を捧げたい。

 

震災は自然現象であり、誰も予測することはできない。先日はトルコ南東部・シリアの国境沿いでマグニチュード7.8の大地震が発生した。

地震が多いトルコではあるが「近代史上最悪」の被害と言われている。また内戦下でもあるシリアの被害の実態把握はさらに困難であるが、既に5万人を超える死者が出ている。

繰り返すが、震災の発生は予測できない。誰が被害に合うのかも予測することは不可能である。

だからこそ先代の経験を継承し被害の想定を知り、防災を学び実践することが自分とそして大切な人を守る最善の行動と言える。

本日は、経験を継承することの重要性について書きたい。

 

私の居住する大阪府、JR大正駅の辺りに一つの石碑が存在する。安政南海地震による大津波を後世に伝えるための碑だ。

長く大阪に住んでいても大阪に津波が押し寄せたという事実は信じ難い、と考える人も多いだろう。しかしそう遠い歴史ではない。

その石碑によると、嘉永7年(1854年)11月の大地震による大津波の被害は甚大だったようだ。

その模様を記録し後世に対する戒めを伝えるのが、大正橋東詰にある安政2年(1855年)7月建立の「安政大津波の碑」である。

「大地震が起きた場合には、必ず津波が襲うものと心得るべきだ」と教訓が示されてる。そして、当時の様子が詳細に記されている。

 

安政南海地震の5ヶ月ほど前にも大きな地震があり、大阪だけではなく三重や奈良でも多数の死者が出た。人々は余震を恐れて川のほとりにたたずみ、4〜5日は不安な夜が続いた。

海溝型の大地震の前後には余震が発生することは当時は知られていなかった。

もちろん当時は、コンクリートのマンションなどは存在しないし、耐震構造など考えられて建設されている建物は少なかっただろう。

余震が発生すると家屋が崩壊する恐怖心から、当時の人々は川のほとりで過ごしていたようだ。

それから5ヶ月後の11月4日、安政東海地震が発生する。

地震に関して正しい知識がない当時の人々は、地震が発生しても海の上なら安全とむしろ考え、小船で海まで避難した人が多数であった。

大阪は言わずもがな水の都であり船の上で生活をすることは日常茶飯事である。

この2つの地震では大阪湾に津波は押し寄せなかった。

 

そして翌日の11月5日、安政南海地震が発生。

安政南海地震は、四国の沖から紀伊半島沖にかけて南海トラフ沿いの地域を震源域として発生した。規模はマグニチュード8.5、死傷者数は数千人。

この地震で大阪の家々は崩れ落ち、火災が発生し、雷のような音とともに一斉に津波が押し寄せてきた。

来襲した津波は、天保山や神戸市沿岸に約2~3メートルの高さで、安治川や木津川の河口から浸入し、大阪市中を縦横に巡る堀川に沿って船が遡上した。

橋を次々に破壊しながら、多くの船が内陸の道頓堀まで運ばれ、「(けが人や死者は)数知れず」と碑に記されている。このように、当時の大阪に甚大な被害を及ぼした。

道頓堀川の大国橋では、大阪市内に存在した船が集まり川をせきとめていたようだ。

今でいう心斎橋のグリコの看板付近である。あの橋から見える川にたくさんの船が流れ込んだと考えると背筋が凍る思いだ。

 

記録に残る中では、1707年に発生した日本最大規模の地震、宝永地震の際にも海に避難した多くの人たちが津波に飲まれ水死した。

つまり、宝永地震から100年以上の歳月が経ちこの教訓を語り継ぐ人がいなかったため、また同じくたくさんの犠牲者が生まれてしまったのだ。

この碑には、今後も同様の現象は必ず起こるので、地震が発生したら津波が起こることを十分に心得、船での避難は絶対にしてはいけない、と記されてる。

また、家が倒壊し、火事の可能性も高くなるので、お金や大事な書類などは大切に保管し、船は流れの穏やかなところにつなぎかえ、早めに陸の高いところに避難し津波に備えよ、とも書かれている。

先人の経験は私たちの財産であろう。次の世代に伝えられる人が存在しなくなれば、私たちは同じ過ちを繰り返すことになる。

これから阪神淡路大震災や東日本大震災を始め、大きな震災を経験していない世代も増えてくるだろう。

そのような世代へ、私たちは意志と記憶を継承していく責務があるのではないだろうか。

明日の3月11日は、被害に遭われた方々を想い、そして平和を願う一日になればと思う。

 

ピースボートセンターおおさか 野々村修平