第二次大戦中、日本で唯一に地上戦が行われた沖縄。住民の4人に1人、沖縄本島では3人に1人が亡くなりました。6月23日は慰霊の日として、戦没者を追悼する記念日となっています。沖縄生まれ、沖縄育ちのボランティアスタッフ、比嘉英里加さん(通称:ちゅらみす)による、慰霊の日と沖縄平和祈念公園の紹介です。
はいたーい☀︎
わんねー、ボラスタのちゅらみすやいびん!今回、慰霊の日についてお話しさせていただきます!ゆたしくうにげーさびら!
うちなーぐち(沖縄の方言)で、
はいたい=こんにちは
わんねー、〜やいびん=私は、〜です。
ゆたしくうにげーさびら=よろしくお願いします
となります!
うちなーんちゅ(沖縄出身)のちゅらみすと一緒に平和について考えていきましょう。
慰霊の日ってなに?
まず、慰霊の日と聞いて何を思い浮かべますか? 私は最初、沖縄戦が終わった日だと思っていました。しかし、それは間違いで、慰霊の日は、” 沖縄戦などの戦没者を追悼する日と沖縄県が制定している記念日 ” です。その為、6月23日は沖縄独自の休日になっています。
ちなみに、沖縄戦が終わった日(降伏調印式の日)が1945年9月7日。沖縄が日本に返還された日が1972年5月15日となります。
なぜ6月23日なの?
ではなぜ、慰霊の日が6月23日と制定されたのでしょうか? それは、沖縄現地に配備された日本軍の第32軍司令官の牛島満司令官と長勇参謀長が自決し、組織的な戦闘が終結した日が、1945年6月23日だからです。
しかし、最初、慰霊の日として制定されたのは、6月22日だったそうです。なぜかというと、沖縄戦が終戦するきっかけになった牛島満司令官と長勇参謀長が自決した日が6月22日だと考えられていたからです。
制定から4年後に再調査が行われたところ、6月23日に2人が自決したのが明らかになり、変更されました。
慰霊の日には何をするの?
毎年、6月23日に糸満市にある沖縄平和祈念公園で、沖縄戦などの戦没者を慰霊する式典「沖縄全戦没者追悼式」が行われます。
式典の流れ
1. 開会の辞
2. 式辞
3. 黙祷
4. 追悼の言葉
5. 献花
6. 平和宣言
7. 平和の詩の朗読
8. 来賓挨拶
9. 閉式の辞
式典は、テレビ、ラジオ、インターネット動画配信などで放送されます。こちらは2年前の慰霊の日の様子です↓
沖縄平和祈念公園ってどんなところ?
「沖縄全戦没者追悼式」がおこなわれる沖縄平和記念公園は、沖縄戦最大の激戦地とされ、終焉の地ともなった沖縄本島南部の糸満市摩文仁(まぶに)にあります。5,059haもあり、戦跡として唯一の国定公園として指定されています。
公園内には沖縄戦の写真や遺品などを展示した「平和祈念資料館」、沖縄戦で亡くなられたすべての人々の氏名を刻んだ「平和の礎」、戦没者の鎮魂と永遠の平和を祈る「平和祈念像」、そして摩文仁の丘の上には「国立沖縄戦没者墓苑」や府県、団体の慰霊塔が50基建立されています。
平和祈念資料館
沖縄県平和祈念資料館は戦争の犠牲になった多くの霊を弔い、沖縄戦の歴史的教訓を正しく次代に伝え、全世界の人びとに沖縄のこころを訴え、もって恒久平和の樹立に寄与するため設立されました。
2階の常設展示室は「住民の視点で捉えた沖縄戦」を展示理念とし<沖縄戦への道><鉄の暴風><地獄の戦場><沖縄戦の証言><太平洋の要石>の5つのテーマからなり、沖縄戦関係実物資料、写真パネルをはじめ、145人の沖縄戦体験者の証言文、約500人の証言映像などから沖縄戦の実相を明らかにしています。
1階の<子ども・プロセス展示室>は、未来を担う子どもたちが、積極的に平和を愛する心をはぐくむ平和創造の場として活用されています。<情報ライブラリーでは、平和に関する各種の情報がご覧いただけます。また、AVブースでは戦争体験者の証言や平和に関するビデオ等も見ることができます。
子ども・プロセス展示室は子どもだけでなく、大人も気軽に使うことが出来るので、ぜひ訪れて、先人たちのお話を聞いてみてください。
ここでは、私が通っている大学を設立した仲里朝章先生のお話も聞くことが出来ます。仲里先生は、戦時中に間違った教育をしたことを後悔し、「人を殺す教育ではなく、人を生かす教育をしたい」と首里教会の跡地に沖縄キリスト教学院大学を設立しました。戦争の経験から、平和のためにできることを考えた人たちの話を聞いてみませんか?
平和祈念堂
沖縄県民をはじめとした全国民の平和への願望、そして戦没者追悼の象徴として設立されました。 美術室には、日本洋画壇の第一線で活躍する画家から寄贈された大作を展示しています。” 美と平和の殿堂 “としての一翼を担っています。
平和の礎
「礎(いしじ)」とは、建物の基礎の「いしずえ」をうちなーぐちで「いしじ」と発音することに由来しています。平和創造の「いしずえ」となることを期待して付けられました。
「平和の礎」とは、沖縄の” 平和のこころ “を広く伝え、世界の恒久平和を願い、国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなられたすべて(20万人余)の人々の氏名を刻んだ記念碑です。例え、名前が分からなくても、その方々が生きておられた証と考え、名前の分かっている方との続柄などが表記されています。
メイン園路は、6月23日の「慰霊の日」の日の出の方位に合わせて設定されています。
広場の中央には” 平和の火 “が灯されています。沖縄戦最初の上陸地である座間味村阿嘉島で採取した火と、被爆地広島市の” 平和の灯 “、長崎市の” 誓いの火 “から分けられた火が灯されています。
国立沖縄戦没者墓苑
国立沖縄戦没者墓苑は、1979年に開設されました。沖縄戦で亡くなられた住民や軍人などの御遺骨を納めた国立の墓苑です。戦没者の遺骨収集は、戦後いちはやく地域住民によって始められました。各地で収拾された遺骨が納められています。
「平和とはなにか?」考えるきっかけに
慰霊の日とは?から始まり、平和祈念公園にある建物などの紹介をしてきました。少しでも関心を持っていただけましたか?
次世代を作るためには、子どもたちの関心も大切ですが、その子どもたちに教える立場の私たちの知識量もとても大切になってきています。戦争を経験したことのあるおじい、おばあが亡くなっている今、戦争を伝えることが出来るのは私たちしかいません。
沖縄慰霊の日が、皆さんの「平和とはなにか」を考えるきっかけになったら嬉しい限りです!そして、コロナが収まったら、沖縄平和祈念公園を訪れてみてください。
文:比嘉英里加 編集:森田幸子
いまも日本全土の0.6%の土地しかない沖縄に在日米軍基地の70%が集中しています。米軍兵士による暴行事件や騒音問題などの基地被害が、沖縄では絶えず起きている状態です。さらに辺野古では、普天間基地の代替という名目で、多くの人々の反対にもかかわらず、新たな基地建設が強行されようとしています。このような沖縄の人々の意志を無視し、日常の安全を脅かしている米軍基地問題の現状を変えるために、ピースボートは米国社会への働きかけと、日本「本土」の世論に訴えかけています。