こんにちは。ピースボートセンターおおさかの野々村修平です。
ピースボートセンターおおさかでは、地球一周を目指している皆さんに向けて様々なイベントを開催しています。
その中の1つ「わくわく寄港地」シリーズは、地球一周の船旅で訪れる寄港地の歴史やおすすめスポットを紹介する企画です。
先日は「わくわく寄港地~大航海時代の栄華が残るポルトガル」と題して、私がポルトガルの首都リスボンについて紹介しました。
そのイベントの内容をブログでも紹介します。
ポルトガルと言えば?
ポルトガルのリスボンは、ピースボートでは4月出航の春クルーズと8月出航の夏クルーズで度々訪れる大人気の寄港地の1つです。
まずは、ポルトガルと聞くとどのような印象を持つでしょうか?
私は、安土桃山時代から江戸時代にかけて行われた長崎貿易がパッと思い浮かびます。
1571年、ポルトガル船が日本に入港して以来、長崎は世界都市として発展していきます。
長崎の街にはポルトガルの宣教師らが多く暮らしていました。その名残もあって、現在の長崎にはキリシタンの教会の姿を見ることができます。
これらの文化財は「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界文化遺産に登録されています。
日本とヨーロッパを繋ぐ「出島」
当時の幕府は、異国の宗教であるキリスト教の広まりを恐れ弾圧を始めます。
しかしキリスト教を排除するということは、魅力的な西洋との貿易を止めなければなりません。
そこで考えられたのが「出島」です。町に暮らすポルトガル人を一カ所に収容し、貿易の掌握とキリスト教の広まりを防ぐ仕組みが作られました。
その後、島原・天草一揆が起こり1639年にポルトガル船の来航が禁止されると、当時、平戸にあったオランダ商館を出島に移すことになりました。
以降、幕末まで出島は日本とヨーロッパの唯一の貿易地として重要な役割を果たします。
日本語とポルトガル語
実は、日本語と最も関係の深い外国語はポルトガル語とも言われます。
これは出島での貿易の中で、ポルトガルの「言葉」が持ち込まれたことに由来します。
「カステラ、カッパ、ボタン、キャラメル、コップ、タバコ、パン」
このようなカタカナ言葉は、全てポルトガル語由来の言葉なんですね。
大航海時代の重要人物たち
このように、実は日本と深い関わりがあるポルトガルの歴史と代表的な観光地を紹介していきます。
ポルトガルの街並みはオレンジ色の屋根が連なり、ヨーロッパを象徴する独特の世界観を表現しています。
スイーツやお土産もスタイリッシュでセンスあるものばかり。トラムに乗って街をゆっくりと周遊するのが王道の観光方法です。
そのようなポルトガルを紹介する上で、切っても切れない重要な人物を3人紹介します。
エンリケ航海王子
海に出ない航海王子とも言われています。諸説ありますが、船酔いが醜かったのだとか。
エンリケは、ポルトガルの最南西端にあるサン・ヴィセンテ岬(現在のサグレス)に、「王子の村」を作りました。
この村でエンリケは造船所、気象台、航海術や地図製作を学ぶ学校などを次々と建設し、ポルトガルの航海術指南や地図製作技術に大きな発展をもたらしたという歴史が残っています。
大航海時代、ポルトガルとスペインに巨大な財をもたらしたのは「新大陸の発見」があったからです。
エンリケがパトロンとして航海者たちを援助し、それまで未知の領域とされていたアフリカ西岸を踏破させるなどし、大航海時代の幕を開けました。
のちにバルトロメオ・ディアスがヨーロッパ人として初めて喜望峰に到着したり、コロンブスがアメリカ大陸に到着しましたが、これらの基盤を作ったのがまさにエンリケでした。
後世その実績が評価され「航海王子」の愛称が与えられました。
コロンブス
コロンブスは、スペインから西回りに航海しアメリカ大陸を「発見」したとされる人物です。
ただし、コロンブスが発見した地が「アメリカ大陸」と分かったのは彼の死後でした。
コロンブス自身は、自らが発見した大陸はインドをはじめとしたアジア大陸だと誤った認識を持っていました。これは「大西洋を西に進めば必ずアジアに到達する」と当時は考えられていたからです。
アメリカ大陸の別称が「コロンビア」だったり、米国の首都であるワシントンDC(Washingon District of Columbia)の「C」はコロンビアを表しているように、コロンブスにちなんだネーミングが数多く残っていますね。
しかしながら、新世界の「発見」とともにアメリカ大陸はヨーロッパに植民地支配されることになります。
罪のない現地の先住民族は一方的に殺害され、または奴隷にされました。そして文化や習慣、言語さえも奪われることになります。
このように、これらの航海士たちはヨーロッパで「英雄」と象徴される一方で、南米大陸では先住民の生活を奪った「悪魔」と呼ばれていることも忘れてはいけません。
ヴァスコ・ダ・ガマ
ヴァスコ・ダ・ガマは、ポルトガルの航海者でヨーロッパからアフリカを経てインドへ渡った最初のヨーロッパ人です。インド航路を開拓した人物としても有名です。
彼の新航路発見によって、ヨーロッパに香辛料が伝わったことが重要な意味を持っています。
インド航路発見にはさまざまなエピソードがあります。
航海者というと、未開の地に自ら踏み込む探求心や好奇心を思い起こさせますが、ヴァスコ・ダ・ガマが航海に乗り出した理由は王室からの指示によるものでした。
当時ヨーロッパ諸国では、外国との対立から財政難を抱えていて、ポルトガルもまた例外ではありませんでした。
その財政立て直しのために注目されたのが、香辛料や金などの資源を豊富に持つインディアス(現在の西インド諸島やフィリピン諸島)との直接貿易です。
香辛料は食品の腐敗を遅らせる効果を持ち、また食品の味付けや香り付けを施すことがきる重要なアイテムです。特に肉を好むヨーロッパの食文化では、香辛料は重宝されました。
イタリア人のマルコポーロが13世紀に記した「東方見聞録」にヨーロッパからアジアへの旅が描かれています。
つまりヨーロッパから東アジアへの主に陸路(一部航路も含む)の存在は既に認知されていました。
しかし、ヨーロッパと東アジアの陸路での貿易では、中東地域を必ず経由しなければなりません。
中東地域を経由するということは貿易の際にアラブ商人から高い手数料を取られるということです。彼らアラブ人は商売のプロ集団として有名です。
東アジアとの直接貿易が叶えば、より安価な値段で香辛料の購入が期待できます。
こうした政治的・経済的な背景により、ヴァスコ・ダ・ガマが直接貿易のために航路開拓を指示された、というわけです。
結果としてインド航路の発見がポルトガルに大きな富をもたらしました。
リスボンで観光するならここ!
では、歴史の振り返りは以上として、人気の観光地を紹介していきます。
ジェロニモス修道院
ジェロニモス修道院は、ポルトガルの黄金時代を象徴する建築物です。「マヌエル様式の最高傑作」と称され、世界遺産に登録されています。
ジェロニモス修道院は、エンリケ航海王子とヴァスコ・ダ・ガマの偉業をたたえ、1502年、マヌエル1世の命により着工されました。
東アジアの貿易や植民地支配で得た莫大な財が投入され、最終的な完成までにはおよそ300年もの歳月が費やされています。
それだけに荘厳な内装には圧倒されます。修道院の内部には、ヴァスコ・ダ・ガマの石棺が安置されており実際に見ることができます。
ベレンの塔
リスボンのジェロニモス修道院と合わせて世界遺産に登録されています。
この塔もマヌエル様式で建設されていることが特徴です。ベレンの塔の役割はデージョ川を行き交う船舶の監視です。
初めて目にする時には、思わずお城か何かかと勘違いしてしまうほどの迫力があります。監視塔だとは思えませんね。
ベレンの塔はリスボン港を守る要塞として建設されました。インド航路発見を記念して1515年から1521年まで、6年の歳月をかけて作られています。
ポルトガル大航海時代の景気のよさを象徴するかのようなマヌエル様式の建築物は、見る価値に値します。
発見のモニュメント
5世紀から16世紀半ばにかけて、冒険者たちを世界に送り出し、海洋大国として黄金時代を築きあげたポルトガルを象徴するものが発見のモニュメントです。
テージョ川を見つめるエンリケ航海王子を先頭に大航海時代の探検家、芸術家・科学者・地図制作者・宣教師ら約30名の像が並んでいます。
もちろん、ヴァスコ・ダ・ガマや宣教師フランシスコ・ザビエルの像も見られます。
残念ながら発見のモニュメントは世界遺産の構成遺産ではありませんが、高さ約50mもの大きさに誰もが驚くはずです。
これらジェロニモス修道院とベレンの塔、発見のモニュメントは比較的近い場所に位置しているので一気に3カ所共に観光してみてくださいね。
ジェロニモス修道院のみチケットを購入する必要があります。人気の観光地ということで行列は必須。私も中に入るまで40分くらい並んだような気がします。
そしてポルトガルの名産品 エッグタルト
日本ではエッグタルトとして馴染みがありますが、この食べ物はポルトガルではPastel de Nata(パステル デ ナタ)と呼ばれておりカスタードクリームの入った小さなタルトのことを指しています。
ジェロニモス修道院のほど近くにエッグタルトの名店「Pastéis de Belém(パスティス デ ベレン)」があります。
実は「パスティス・デ・ベレン」のエッグタルトは、もともとジェロニモス修道院で修道女たちが作るお菓子だったそうです。
1837年に修道女から受け継いだ秘密のレシピに基づいて、初めてパステル デ ナタを販売したのがパスティス デ ベレンです。
エッグタルト発祥の地ともあり、ポルトガルではバーでもあたり前のようにエッグタルトが並べられています。
いわゆるソウルフード的なお菓子なんですよね。ポートワイン(ポルトガルのワイン)とともに召し上がれ。
いかがだったでしょうか。実はまだまだ魅力あるリスボンですが、これ以上長くすると誰も読んでくれないと思うので、本日はこの辺りで終わっておきます。(歴史の部分を削れよ!(笑))
ピースボートセンターおおさか 野々村修平